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カテゴリー「F-1」の記事

2014年1月23日 (木)

気持はよく分かります

さて、前回のブログでも書きましたように今期のF1復帰が決まった小林可夢偉ですが、その場で彼は今年、無給だということが明らかにされました。当日のインタビューで、可夢偉はこう述べています。

「無報酬で走ります。それは僕の決定です」

「それが僕のアプローチです。僕はこの仕事がしたいんです。それをトニー(・フェルナンデス、ケータハムチームのオーナー)に訴えました。それがトニーへのメッセージですし、彼はそれについて満足しています」

「僕はチームを助けたいです。お金のことは気にしていません。自分の人生を成功させたいですし、自分のゴールを成功させてチームにお返ししたいです」

別に仕事が無かったワケではありません。去年所属していたフェラーリからは今年も継続してGT(市販車改造)の世界選手権に出場すること、そして去年よりはF1フェラーリチームの裏方として開発などに関われる作業を増やすという旨のオファーも受けていました。こっちはたぶん、少なくとも数千万円の給料は出ます(億円いくかもしれません)。それでも可夢偉は、報酬を貰っての名門の裏方よりも無報酬での新興弱体チームのレギュラーを選びました。

たしかに今年、F1へ戻れなければ小林可夢偉の名前がF1のスターティンググリッドに並ぶことは未来永劫なかったでしょう。だから戻りたい、もう一度F1という世界一速い車で戦える舞台に戻りたい、そのためにはという決意も感じましたし、同時にやっぱりF1ドライバーって普通の人とは価値観が違うんだなとも思いました(デラロサってドライバーも名門マクラーレンの開発担当辞めてヒスパニアっていう、ケータハムよりさらに弱くて一昨年で撤退しちゃったチームのレギュラー選びましたし)

ただ、それでもやっぱり、今日(昨日?)報道されたあのニュースは気になるようで、こんなツイートを残していました。

I saw Japanese baseball player sign with Yankees 161m dollar for 7year deal. Oh my got I'm Eating 5 pound burrito with out getting money!lol
「日本の野球選手がヤンキースと1億6千百万ドルで七年契約したのを見た。なんてこった自分は無給で5ポンドのブリトーを食べてるのに!(笑)」

But I'm happy driving F1 for free and happy with 5pound burrito^_^ This is my dream!
「けど僕は無給でF1で走るのは嬉しいし、5ポンドのブリトーにも満足^_^これが自分の夢なんだから!」

…気持は、よくわかります(140億とかいう金額はピンときませんが

とりあえず来週の合同テスト、頑張れ可夢偉!!

2014年1月21日 (火)

ようやく決まりました!

小林可夢偉、F1復帰決定!!!

いや長かった…まじでここまで長かったです…一昨年ザウバーのシート喪失が決定して、募金募って(ちなみに自分は4口募金しました)、それでも浪人が決定して、フェラーリのGTにフェラーリF1チームと契約したうえで走ることが決まって、それならもっとF1関連の仕事させてもらえるのかと思っていたらそんなこともなくて、今年のシートをめぐる話が出てきてもなかなか可夢偉の名前があがらなくて…

とりあえず最初に「ケータハムが声をかけてるのかな?」と思ったのはけっこう前でした。去年の12月初旬、浮上のきっかけをつかめずにいるチームのオーナーが

「来季は実力者を一人は起用したいと思っている。その候補者にはコバライネン(一昨年まで同チームで走っていた、優勝経験もあるベテラン)以外のドライバーもいるし、そのドライバーにとって我々が第一候補でないのも知っている」

ってコメントしたときでした。「これ、可夢偉のこと言ってね?」と真っ先に思ったのは、もちろんファンゆえのフィルターもありましたけど。それから可夢偉のツイッターで交渉してるチーム(おそらくザウバー)からの反応が急に悪くなったけどラストチャンスに賭ける的なことが書かれて、その後クリスマスくらいにケータハムのファクトリー訪問ってニュースが出て…

正直、復帰するのであれば四年間走って10位以内が一度もないケータハムよりももっと強いチームで復帰してほしかったという欲目はあります。でも同時に、来季はエンジンの規格が変わり、車体の規格も変わりと全てが大幅に変わる年、そんなとき、可夢偉なら何かをやってくれるんじゃないかという期待もあります。とにかく今年は、F1のコース上にいることが大切になる年ですし。

それに(自分の憶測が正しければ)可夢偉が余所でフられるまで待ってくれていたケータハムってチームはきっと、可夢偉をものすごく買ってくれていますし。

とにかく、来週のオフシーズンテストです。そこでどんな結果になるのか…今は期待に胸を膨らませながら待ちたいと思います

2014年1月 4日 (土)

正直、涙が止まりません

本当は今回は、福井で泊まった旅館と、そこの素晴らしいお食事の数々を紹介する予定だったのですが、予定を変更させていただきます。

M・シューマッハ、生命の危険は回避

このニュースを知ったのは、居酒屋で一人酒をしながら食事をしているときでした。そしてそのニュースを見た瞬間から、涙を止めることができませんでした。
これは病院からの公式発表ではありません。なのでまだ予断を許しませんが、それでもよかった、本当によかったと…

ぶっちゃけ自分はシューマッハのファンではありません。むしろアンチと言った方が正しいです。フェラーリに移って数年間は応援していましたが、五連覇とかしているそのときは。それでF1に興味を無くして、再び熱心に見るようになるには小林可夢偉の登場を待たなくてはいけなかったワケですし。

ただ、そんな自分でも今回の報道は涙が出るくらい(と言うか号泣するくらい)嬉しい。

それはたぶん、不謹慎な言い方になるかもしれませんが、人一人の命が助かったというのと同時に、やっぱり自分にとって、シューマッハはヒーローだったんだなあと。好きとか嫌いとか超越して、ヒーローだったんだなあと、そんなことを涙ぐみながら思いました。

2014年1月 1日 (水)

明けましておめでとうございます

というワケで年末年始くらいはと(?)昨日に引き続き、挨拶程度ですが書き込みです。

昨日はあのあと紅白適当に見て、ゆく年くる年みて、新年迎えて…と、ごくありふれた年末年始でした。
んで今日の午前、明治神宮様に初詣に行ったのですが妙に空いてた…普段は行列の最後についてからお参りできるまで一時間くらいは待たされるのですが今日は10分くらいだったし。連休の並びがよかったこととか、アベノミクスで景気がよくなってきたとかで旅行とか遠出している人が今年は多いのかなあと。しかし年末年始に晴天だと、空が真っ青で気持ちがいいですね。

また、昨日書いたミハエル・シューマッハ―の安否ですが、まだまだ予断を許さない状況ではあるものの少しだけ改善し、また今日一日は容態が安定していたそうです。このまま少しずつでも、快方に向かってくれることを祈っています。
とりあえず、神父に化けて病室に忍び込もうとした記者は同じ人間と認めたくないですが。

それと、自分がとても気にしている、小林可夢偉選手のツイッターを覗いたらこんなことが書かれていました(以下イタリック部分抜粋)

明けましておめでとう御座います。
2014年は勝負の年です。最後のチャンスと言う気持ちでやりきる1年にしたいと思います。去年力を温存した分今までで一番強い自分が出せると思います。
それでは新しい2014年最高の思い出が出来るように一緒に戦って下さい N.Y14

N.Yはニューヨークじゃなくてニューイヤーっぽいです。去年の年末からケータハムチームのシートをめぐって優位な位置にいるとの報道が見られましたが

決まったと信じていいんですよね?

2013年12月31日 (火)

2013年も終わりますねえ…

なんかブログの間隔期間過去最長を軽く更新してしまいましたが

とりあえず今年は個人的にはかなりいろいろあった感じです。大阪に転勤になったと思ったら三カ月で帰還指令がやってきたりで。とりあえず、向こうで何か問題起こしたワケではないということだけは強調しておきます(汗)

しかし、そんな年の瀬ですが、舞い込んできたのがミハエル・シューマッハがスキ―の事故で負傷し、危篤であるというニュースでした。最初は意識もあるし岩に頭ぶつけて軽傷みたいなことを言っていたのに…

正直、自分はシューマッハのファンではなかったのですが(彼が勝ちすぎたのもF1見なくなった大きな要因でしたし)、でもやっぱり、彼はまだまだやること、やれることが山ほどある人なんだし、せっかくモータースポーツから足を洗って、家族水入らずで過ごせる時間もできて、そんな中のスキー旅行でこのような事故に遭ってしまったというのは何と言うか…上手く言えないのですが、今は一人もモータースポーツ愛好家として、回復を祈るばかりです。(幸い、わずかながら改善の兆しは見えてきたそうです)

まとまりの欠片もありませんが、これをもって2013年最後のブログ投稿にさせていただきたいと思います

2013年5月19日 (日)

伝説の名前、再び

5月16日の午後四時、前から噂になっていたことがついに正式発表されました。

ホンダ、マクラーレンとの提携を発表

88年~91年まで、四年連続でドライバーズとコンストラクターズのダブルタイトルを独占し続けた伝説の名前が2015年、ついに復活します。

マクラーレンはこの10年以上、ずっとメルセデスエンジンを使っていました。エンジン開発はマクラーレンのマシンに合わせるように作られ、一時期はメルセデスがマクラーレンの株を取得するなだ蜜月関係にあったのですが、それも過去の話、メルセデスが自分のチームを立ち上げたことからマクラーレンは密接なパートナーから一顧客になり、新たなパートナーを探すことが必要に。そこにホンダが名乗りを上げたという形になります。

ただ今回、ホンダが供給するのはエンジンでなくパワーユニットという名称です。

どう違うかと言うとパワーユニットという言葉にはエンジン単体ではなく、車を走らせることで発生する運動エネルギーや熱エネルギーを走る力に回生させるシステム部分(ERS)まで含んでいます。
ちなみに今年までもブレーキ時に発生したエネルギーを充電し、再利用するKERSというシステムが使われていましたが、これよりはるかに大がかりになります。
またガソリンタンクもこれまで1レース走り切るのに必要だったガソリンが160kg程度だったのが100kgと制限され、これまでとは比べ物にならない燃費効率が求められることになりました。やはりモータースポーツも、昨今のエコからは逃れられないようです(個人的には何だかなあと思いますが)

そして今回のホンダの復帰、付随して気になることが二つあります(自分的にはこちらがメイン)。それは

・トヨタも再び参戦するのか
・日本人ドライバーは?

というところです。

トヨタの再参戦はホンダほど強くでないですが何度か噂になりました。いわくライバルのホンダが出るなら対抗心から出ないわけにはいかないというもの(やや消極的ですが)。
個人的にはこれもぜひ実現してほしいのですが、なんか復帰するとしても2016年以降になるんじゃないかと思っています。再来年復帰のホンダが今発表ですし、トヨタ的にはまずはル・マンで勝ちたいでしょうしと

そして二点目ですが、これはもう、来年にでもと期待したいところです(具体的には可夢偉の復帰)。可夢偉はずっとトヨタ系の育成を受けていましたが今はトヨタとの関連は無くなっていますし、ホンダ系の日本人ドライバーで言っちゃ悪いけど可夢偉より向いてそうなのは見当たらないしで(塚越広大は悪いドライバーじゃないけど去年フォーミュラニッポンで中嶋一貴に競り負けたし佐藤琢磨はインディで覚醒しはじめたけどそろそろ年だしで。応援はしてますけど)

妄想を言うのであれば来季、ホンダがセカンドチームとして再来年からの供給先として噂されているザウバーで走って、そこでいいトコ見せて再来年からマクラーレン・ホンダでというルートですが、そこまで上手く事が運んでくれるかどうか…実現してくれるといいんですけどね。

2013年3月18日 (月)

F1開幕しましたねえ

可夢偉がシート喪失した今年、見ないかなあと思っていたんですがわりと普通に見ましたし普通に楽しめました。フジNEXTも(可夢偉の去就が決まらなかったこともあって)結局解約しなかったし。

ただ、「楽しめた」だけなんですよねえ。ごく気軽に、そして気楽に。去年みたいに不安や緊張感で締め付けられるような感覚は全くなくて。

そんな小林可夢偉ですが今年はフェラーリと契約して市販車改造の車でWEC(世界耐久選手権)に参戦します。

こう書くとF1からかなり縁遠い世界に行っちゃったっぽいですが、しかし可夢偉が契約したのは耐久レースのレースチームでなくてF1チームのスク―デリア・フェラーリと発表されていること、そして可夢偉と一緒に写真に写っていたのはF1チームの監督ではるステファノ・ドメリカニでyoutubeの動画でもすごく嬉しそうだったことから、F1に関しても何らかの約束があるのではと推測されます。

とは言っても、来年可夢偉が確実にF1に戻ってこれるなんて、いくらファンでも思っていません。可夢偉が掴み取ったのは、F1につながるすごく細い糸だと思います。それこそ蜘蛛の糸みたいに細い糸。でも、それでも彼がアメリカに行ったり日本に戻ったりしていたらその糸も掴めなかったでしょう。

今はとにかく、フェラーリとの関係を強めること、それと日本のスポンサー増やすための活動することが大事なんでしょうね。ホンダも2015年から復帰するって言うし、少しは日本国内でF1に対する機運も高まってくるでしょうから

2012年11月 5日 (月)

二人のサムライにおめでとう!

つーワケでまたぞろモタスポの話題です。中途半端な状態で実質打ち切り状態になってる鹿児島やら青森やらのネタも書こうと思ってはいるのですが(汗)

でも、それでも懲りずに書かせていただきます。

可夢偉!一貴!おめでとう!!

と。

昼間は中嶋一貴が鈴鹿で行われたフォーミュラニッポン最終戦で見事な走りを見せて大逆転で王座を獲得、そして夜は小林可夢偉がトラブルを抱えたマシンを操りながら、運も味方につけてアブダビで六位完走、二人を応援してる身としてはまさに最高の日曜日でした。
てかすみません、可夢偉にしろ一貴にしろ

予選の段階で諦めてました

可夢偉はアブダビはゲンがいいけど今回はダメだなあと。一貴はチャンピオン塚越広大(あ、この人も応援してます。07年にマカオグランプリで目の前で二位になってくれて以来)に持ってかれるなあと。でも二人とも、ハタから見ればかなり絶望的な状況でも諦めなかったから、運も味方にしてこの成績に辿り着いたんだなあと。

フォーミュラニッポンは終わりましたがF1は残りあと二戦、なんとか12ポイント差で前を行くメルセデスを捉えて2012年のシーズンを締めくくれるよう、小林可夢偉には残り三週間、最後のひと踏ん張りを期待したいと思います。

次回は観戦に行ったFポン最終戦について写真付きで書きたいと思います←冒頭の一言どこ行った

2012年10月22日 (月)

鈴鹿にて

二週間前の更新時に予告しましたように、今回は鈴鹿の写真をいろいろ紹介したいと思います(ところどころ、三月に行ったファン感謝デーの写真も混ざってます)

あ、でもその前に

中嶋一貴WEC富士優勝おめでとー!

…これも先週の話ではあるんですけどね
富士スピードウェイで開催された六時間耐久レース、予選でトップタイムをたたき出し、決勝でもチームの三人中一人で後半ほぼ全部を走り切りレースの最速タイムも記録し優勝、FIAの世界選手権規格レースで優勝を飾った日本人は二十年ぶりだそうです。
F1からは弾きだされてしまった感はありますがレーサーとしてこの一年で確実に進歩した一貴選手、これからも活躍に期待しています。

んで、そろそろ本題の写真紹介に

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スタンドの様子。かなり混んでます。狭いです。往復の道を含めて軽いハイキングです。
二日間直射日光の下にいると、かなりいい感じで日に焼けます。ちなみに軽いハイキングと書きましたがこれが一番遠いS字コーナーあたりの席になると軽い登山になるそうです。
決勝当日のお客さんは公式発表によると10万人ちょっと、これでも十分な混雑でしたが、過去最高は2006年の16万人だそうで、ちょっと想像したくない人数です(行った人によると男のトイレで30分並んだとか…)

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去年は買えなかったけど今年は買えました可夢偉弁当。お値段はちょっと高めの1800円。容器はプラスチック製なので持ち帰って洗って保管してます。
味は悪くなかったのですが季節柄ご飯の酢飯はかなりキツめで食後かなり喉が渇きました。もしかしたらそれは勝利への渇望を体験させるためだったのかもしれません。

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ちなみにこちらは三月のファン感謝デーで売っていた中嶋悟弁当。これで千円はボッタくりだった…(このあとハンバーガー食べてようやく空腹を満たせたレベル)

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前座のポルシェレースで優勝した平川亮。若干18歳ですが全日本F3とポルシェのレース両方でチャンピオンを獲得している期待の新鋭です。きちんとしたバックアップがついてヨーロッパで走ることができれば、可夢偉の後継者になる素質十分なのですが…

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サーキットの外、グランドスタンドの近くではホンダのメモリアルマシンがいろいろと展示されていました。その中から二台、アイルトン・セナが初のチャンピオンを獲得したマクラーレンホンダMP4/4と中嶋悟現役最後のマシン、ティレルホンダ020。

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土曜日の前夜祭に出演した小林可夢偉選手。左は司会のピエール北川という人です。
立ちっぱなしなのは可夢偉が“座りつかれたから立ってたい”と言ったから。さらに後ろの女性陣に“よかったら代わりに座る?”と言ってはピエールに止められてました。コテコテの関西人なこの二人、最初は標準語から始まったインタビューが見る間に関西弁に変化していきます。

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ちょっと画質が悪いですが真ん中に立っているのが可夢偉所属チームのリザーブ(補欠)ドライバーのエスティバン・グティエレス。可夢偉が前夜祭に行くというのにひょっこりついてきて、お客さんがたくさんいるからと顔出して、サインねだられてました。可夢偉と正ドライバーのシートを争わなければ好感を持てる青年なんですが。

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スタート直前、フォーメーションラップを走る可夢偉です。このあと予選三番手からのスタート、スタンドの誰もが固唾をのんで見守っていました。
ちなみにレースシーンの写真は一枚も撮ってません。自分がどんな状態でレース見てたかよく分かる…

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戦いすんで日が暮れて…

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レース後、表彰台でのインタビューアーを務めたのはご存じ(?)ゴクミの旦那、ジャン・アレジでした(写真はファン感謝デーのものです)
渋いです。カッコいいです。デイモン・ヒルとかもそうですが、人としてかなり理想的な年の取り方してる外観です。ちなみにレースのプログラムに載っていたかつての二枚目レーサー、アレッサンドロ・ナニーニは劇的ビフォアアフターすぎました…(禁煙したこと、実家の製菓会社を継いで試食しまくったことなどが原因らしい)

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レース後、多くの人が記念に撮っていたレースリザルト。「3 KOB」の表示が眩しいです。

と、写真の紹介はこんな感じです。今週末はインドグランプリ、韓国では大失敗した可夢偉のリベンジに期待!

2012年10月 9日 (火)

偉大な夢への次のステップ

2012年の日本グランプリ、土日と現地に行って見てきました。しかし正直、何から書きだせばいいのか迷っています。

予選で可夢偉が4位のタイムを記録したときには興奮し、それが下手したら抹消されるんじゃないかという話になったときは不安になり、結局可夢偉のタイムは有効、決勝は繰り上げ3位スタートが決定したときは安堵し、決勝当日スタートの瞬間は息苦しくなり、スタートで可夢偉が二位にあがったときには叫び、相変わらずのミサイルっぷりだったグロージャンにヤジを飛ばし、その犠牲者の一人だったウェバーの車が動き出したときにはスタンドみんなで拍手し…

そして終盤、三位を走る小林可夢偉彼より4周分新しいタイヤを履くジェンソン・バトンに追いかけられていたときは、本当に祈るような気持ちでした。
「お願いジェンソン空気読んで!」
そんなことを願いながら…

そうして訪れたファイナルラップ、可夢偉がバトンをわずか0.5秒差で抑えきり初の表彰台を獲得したときには、涙ぐんで手を叩いて叫んでました。
「可夢偉よくやった!よくやった!」
と何度も言いながら…

そしてレース終了後、表彰式ではサーキット全体を包む満場の可夢偉コールの中で自分も叫び、サーキットから名古屋駅まで、普通なら一時間ちょっとで帰れるところが渋滞のせいで三時間くらいかかり、帰宅したのが12時過ぎ、テレビ欄を見たら午前四時からレースの再放送があるというので見て…という感じでした。

ちなみにジェンソンは空気読んでませんでした

ガチで三位を諦めずに最後まで自己ベスト更新しながらプッシュしてた…まあプロだし敵チーム相手だし、それが当然なんですが。しかしそこで自己ベスト出して対抗してた可夢偉も可夢偉ですが。

とりあえず今回は大筋のみ、細かい話や写真なんかは次回以降にしたいと思います