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カテゴリー「中国」の記事

2010年3月16日 (火)

最近買った物 1/3

※ここから先の文章は現政権政党を支持されている方は見ない方がいいかもしれないことを前もって警告します。

最近、この数週間で3つほど、ブログのネタになりそうな物を購入しました。どれも大なり小なり笑いどころのある三点、それらを紹介していきたいと思います。

まずトップバッターはこの一品

Dvd

ムダヅモ無き改革 Legend of Koizumi

以前このブログでも紹介した漫画『ムダヅモ無き改革』のオリジナルビデオアニメです。
…しょっぱなから最大火力のを持ってきたような気もしますが、それはそれ。発売当日、仕事帰りで閉店間際のヨドバシカメラに行ったら売り切れてました(結果、楽天で注文)

ストーリーは相変わらず異常にカッコよく描かれた元内閣総理大臣小泉ジュンイチローが世界の首脳と麻雀で戦うというツッコミ所満載なものなのですが、アメリカ→北朝鮮→ロシア→ナチス第四帝国と続いている原作とは異なり

アニメの相手は中国です

どう考えても、世間的にもっとシャレにならない相手をネタにしている気がします。コミックでは注記が
“実在の人物とはあまり関係ありません”
なのが、
“実在の人物とはかなり関係ありません”
になっているあたり、少々勘繰りたくなる部分もあります。

中国側の登場キャラとしては胡錦濤国家主席と温家宝首相、そしてアニメ本編のラスボスとして(以下かなりのネタバレにつき白文字)冥府より蘇った毛沢東主席が登場します。毛主席の得意技は緑一色、暴走した主席の怨念により和了るたびに中国の大地が緑に覆われていきます。エコに見えますが、どうやらそうとも言い切れないようです(以上ネタバレ終了)

また、アニメ独自の要素として平成の脱税王(by元財務大臣の人)も出演しています。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm9854543

ニコニコ動画に掲載されている、ユキヲさん登場シーンまとめ集。これでもかなり、自民支持な作者としては気を使ったんだろうなあとか2:36での小池ゆかりのセリフにめっちゃ爆笑したとか、夫人が本気で訴訟起こしたら製作サイド負けるだろうなあとかいろいろと。あ、ちなみに作中出番が多い若い男は杉村タイゾーです。原作でも主に一般人目線の驚き役として出番は多いです。

個人的にはかなり笑えたのですが、時間が8分程度×3本立てと短めなのと、見る人をかなり選ぶだろうなあというのは率直な感想。後者はハナから仕方ないとして、あと五割増しくらいの尺が欲しかった…原作での人気キャラが三名ほど、それぞれ数秒しか出番無いし、ものすごく続編ありそうな引きだけど製作者は“一回こっきり、やり逃げ上等”って公言してるし…

最後にこの作品がおススメなのはこういう方です。

・実在の人物をネタにしたギャグが受け入れられる
・て言うかむしろ好き
・昭和の少年漫画的なノリが好き
・政治は基本的に自民支持

…次は、とても一般受けしそうなものを紹介させていただきます

2009年6月28日 (日)

広州でなく杭州④

杭州編の最終回。

岳王廟の像(正式名称:鉄跪像)に日本人と中国人の相容れなさをひとしきり感じたとき、時間は四時前でした。近辺の観光名所は一通り回り終えていたのですが、電車の時間まではまだ二時間以上あります。とりあえず、適当に土産物屋を数軒ひやかしていたのですが、それでも時間が余る。さてどうしようかと思っていると、一緒にいた人がお茶屋に行こうと提案をしてきました。

Photo Photo_3

目の前にあったお茶屋、外見は立派ですが中(写真は撮影していません)は石造りの床に安そうなテーブルと椅子、クッキーやナッツが入ったガラスのショーケースとカウンター、そこに店のオヤジがいるという造り。外は一応庭園風ですが、あまり手入れに熱心とは思えない感じ。とりあえずそこで龍井茶の茶葉とヒマワリの種を買い、表に出ました。

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龍井茶とツマミのヒマワリの種。茶葉は多少良いもので一人400円くらい、ヒマワリの種は200円くらいでした(記憶曖昧)。お湯は魔法瓶で渡され、空になったら店の人にいうと代えの魔法瓶を持ってきてくれます(これはタダ)
天気が微妙な春の空の下、慣れないと飲みづらい(けど味は悪くない)お茶を飲み、ひまわりの種をかじりながら、互いに留学経験があるので中国での学生時代はど~だだの、中国子会社の雰囲気はど~だだの、日本の本店はどんな感じかだの、そういうことをダベりながらまったりと時間を過ごしました。これまで観光というとわりと駆け足の旅が多いタイプなので、こういう時間はなかなか貴重。

そして上海に戻り、飲茶のチェーン店のような所で夕食、その後マッサージで肩や足を揉んでもらい、二泊三日の上海&杭州は終わって行くのでした…

2009年6月17日 (水)

広州でなく杭州③

※今回の文章は、後半で中国の歴史観とかの負の部分に思い切り触れています。そのためこれまでのブログ文章の中では一番、こちらも口調がキツくなっています。あらかじめご了承ください。

武松のお墓にひとしきりツッコミを入れたあと、自分ら二人は岳飛という将軍を祀った岳王廟という所に向かいました。もっとも武松の墓については、明日のジョーで力石徹が死んだとき、リアルで葬式をあげた国の人間に言われたくないと言われるかもしれませんが。

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閑話休題して岳飛(1103~1141)は南宋の将軍。北方異民族の王朝であり中国北方を手中にした金王朝に対して最後まで徹底抗戦を唱えていた人物です。ここで岳飛と岳王廟に触れる前に、宋についてちょっと解説。

宋という王朝は中国の歴代王朝の中でも非常に特殊な王朝でした。武よりも文に基を起き、初代皇帝の遺訓により言論の結果による死刑を禁じ(他は言葉尻一つで首を刎ねられるのはザラ)、自分達が乗っ取った後周王朝の王族を代々手厚く保護しました(他は九親等くらいまで皆殺しがデフォ)。
また、そんな気風の元で磁器(当時作られた青磁の色は『台風一過の空の色』と言われ現代でも再現不能)や絵画などの文化も非常に発達し、首都開封は夜通し営業している酒場などで栄えました。そんなこんなで、個人的に一番好きな時代の一つでもあります。

しかしその反面、軍事は非常に弱く、和平政策として隣接する北方異民族の王朝である遼に毎年大量の銀やら絹布やらを下賜することでやりくりしていました。なんかこう書くと、現代日本と妙にダブります。

それでも遼が健在なうちは良かったのですが、遼が女真族の金朝に滅ぼされると金朝は宋にも侵入、追いやられた宋の皇帝は残った南の地に遷都し、南宋となります。それが、岳飛の生きた南宋の時代です。

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廟内にあった岳飛(岳王)の像。銅像の下半身が入場客に触られすぎたせいでテカっているのについては触れない方向で。

この廟、一人の人間を祀った廟としてはかなり大きいです。岳飛に対する人々の崇拝も三国志の関羽に次ぐと言ってもいいかもしれません。それは何故かというと、彼の悲劇的な最期にあります。

岳飛には秦檜という政敵がいました。主戦論の岳飛に対し金朝との和議を主張する秦檜、やがて二人の確執は深まり、秦檜は岳飛と息子の岳雲、忠臣の張憲らに無実の罪をかぶせて謀殺、金朝に対して中国王朝史上初の『臣従』という形で和議を結びました。
それまで中国の王朝は、どんなに自分達に経済的に不利な和議であっても、形の上では中国が兄であったり主君であったり、とりあえず自分達が上でした。その前例を破り、自分達こそが世界の中心であるという中華思想も打ち砕かれた、そのことが岳飛の英雄性を高めると同時に、秦檜を中国史上稀に見る悪役、奸臣の代表例としたのです。そしてその結果が下の写真です。

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秦檜、彼の夫人、その他岳飛父子謀殺に共謀した二人の計四人の像が檻に入れられ、上半身裸で後ろでに縛られてうつむいています。参拝した人はこの銅像をバシバシと平手打ちしてから、目の前にある岳飛(とその息子)の墓(下写真)に手を合わせるのです。

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昔は像の脇に鞭が置かれていて、それで叩いたり像に唾を吐いてからお墓に参拝していたそうです。さすがに外国人も来る場所でそれは外面が悪いと気づいたのか鞭は撤去され、壁には“唾吐くな”のレリーフが貼ってありましたが。

ビジネスマナー以外の他国の風習についてとやかく言うのはあまり好きではないのですが、はっきり言ってこれ、事前情報持っていてもドン引きします。誰がどう考えてもやりすぎです。
岳飛が死んだのは870年近く前、それから王朝が三つ代わり、中央政府が二度変わっています。それでこれです。時々“アジアで共通の歴史認識を”とか言う人がいますが、断言します。ムリです。どう考えても人物評価でまとまるワケがありません。

だから歴史については相互不干渉で永遠に棚上げして、せいぜい雑談程度にとどめておく、これが摩擦や軋轢を減らすための、唯一最大の方法だと考えています。

杭州コラムは次で最後です。ラストはとりあえず、普通にまとめる予定です。

2009年6月15日 (月)

広州でなく杭州②

  そんなワケで金曜日に予定を済ませた翌日、微妙に二日酔いと寝不足な頭を引きずりながら、会社の人(日本人)と上海南駅で待ち合わせ、中国版新幹線で杭州へ行きました。

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左が北京オリンピック開催に合わせてつくられた上海南駅で右が中国版新幹線『和諧号』。新幹線は広州でも出張の足としてお世話になっていたものと全く同じでした(て言うか上の写真も広州時代の物だったりします)。この新幹線が開通したおかげで、自分が上海に長期出張していた03年には3時間以上かかっていた上海~杭州間が一時間半程度で行けるようになりました。

そして到着後、まずは杭州観光地最大の目玉である西湖に行ったのですが…

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天気が悪いせいであまり良い景色とは言えませんでした遠くを見渡すことができれば、さぞかし良い眺めだったのでしょうが。あと途中で博物館もあったのですが、展示物は正直微妙でした…一週間前に台北の故宮博物院見ちゃってたから尚のこと(もっともあれと張り合えるのは大英博物館くらいしか無いと思いますが)

しかし歩き続けてお腹も空いてきたので気を取り直して昼食へ。お店は楼外楼という、孫文や魯迅も訪れたという老舗のお店です(ガイドブックより)

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老舗だけあって、なんかやたらと大きくて立派そうなレリーフがありました。上の写真は当然その一部、お値段ウン千万円するとか書いてありました。ここで食べたのは以下の四品。

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左上から順に東坡肉(ブタの角煮。実はここ杭州が発祥)、蟹味噌の入ったスープ、コジキ鶏(鶏の蓮の葉包み焼き、富貴鶏とも)、そしてむき海老の龍井茶葉炒め。二人で食うにはどう見ても頼みすぎですが(実際、完食できなかった…)味はさすがに美味しかったです。
にしてもこういうとき、ガイドブックに載ってる店を優先的に選ぶようになったあたり、最近の自分からは冒険心というものが抜けてきてるなあとは思ったりするのですが。

ともあれ満腹になった自分らの前に一つのモニュメントが目に留まりました。なんか観光客も沢山集まっています。モニュメントの形からすると、どうやらお墓のようです。一体ダレのお墓なんだろうと近づいてみると…

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武松(ぶしょう)の墓でした。

武松は北宋末期の人物、素手で人喰い虎を撲殺した功績から役人に取り立てられるものの兄嫁が不倫相手と共謀し実兄を毒殺。敵討ちのために二人を殺し流罪。最初は素直に刑に服していたもののそこでも刺客に殺されかけるなど紆余曲折の末山賊となる。
数年後山賊仲間と一緒に朝廷に帰順し官軍として各地を転戦、多くの仲間が戦死する中で彼は左腕を失うものの生き延び、杭州にある六和寺の寺男として仲間を弔いながら、80歳の天寿を全うしたという

水滸伝の人物です

ええ、つまりこの人、実在しません。それなのに“ここが小説で書かれていたから”とお墓まで作っちゃってます。武松という好漢への愛情がそうさせたのか(実際、水滸伝の作中でも1・2を争う人気キャラ)商魂たくましいだけなのか、非常に悩むところではあります。

しかし、この旅最大のツッコミどころは、この次の訪問地にあるのでした…(続く)

2009年6月 9日 (火)

広州でなく杭州①

このブログで書いていた台湾出張記ですが、実はその翌週も海外に行っていました。行き先は一年ぶりの上海、社用ではなく私用で訪問です。

出発は3月20日の金曜日で飛行機は全日空、飛行機に乗る直前、空港で朝食(おにぎり二つ)を買って食べていたら、いきなり受付に呼ばれました。何かと思ったらエコノミーの席が満席でビジネスクラスに格上げしてくれるとのこと。人生何度あるか分からない幸運なのですが、それなら直前におにぎりなんて食うんじゃなかったと激しく後悔。だってビジネスクラス、おつまみはタオル(持ち帰りOK)にくるまれて出てくるし…

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食事、点数すごく多いし…(持ち帰り可能なアンパン以外半ば意地で平らげました)

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写真撮ってないけど座席フルリクライニングできるし(上海まで三時間弱しか無いので必要性は皆無なのですが、とりあえず一度はフルリクライニングしました)

ちなみに下のが帰り(エコノミー)のお食事。これもこれで美味しかったです(基本的に全日空の食事は美味しい)帰りも満席だとかでプレミアムエコノミー(座席間隔がちょっと広くて席がちょっと良いエコノミー)に案内してくれました。チケット往復九万円と微妙に高かったのですが、十分すぎるくらいに元は取れました。

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この日は到着後すぐに目的であった用事を済ませ、子会社の事務所で時間を潰して(迷惑)夜は上海に駐在している人たちと飲みました。そしてせっかく上海に来たのにこれだけで帰るのはあまりに寂しいので、翌日は杭州観光をすることに。以下、次回に続きます。