世界一の大都会へ⑨
前回の続き:
滑り込みセーフで何とか間に合った国立9月11日記念館、最初に
待っていたのは博物館とは思えない、飛行場レベルに厳重な手荷物
検査でした。それがこの博物館が他よりはるかに政治色が強い場所
だからなのか、それともテロのことを忘れないためなのか、それは
分かりません。展示物はすべて地下にあり、見学者はエスカレータ
または階段で地下に降りて行きます。
↑
その途中には2001年9月11日の朝に撮影された2つのビルの
写真がありました。何も変わらない1日、みんながそう思っていた
朝の写真です。
↑
閉館時間直前でしたけれど、中にはまだ多くの人がいました。また
自分も最後の入場者ではなく、あとからも普通にお客さんは入って
きていました。自分は一時間ほどいましたけれど、みんな焦ってる
風もなく、博物館も追い出しの音楽が鳴り始めるようなこともなく、
館内の時間は静かに流れていました。
↑
救助活動にあたっていた消防車、そしてツインタワーの片方の屋上
についていたアンテナの残骸です。正直、これを前にしても現実味
というのを感じることはできませんでした。これは本当にあった事
なのか?いつの間にか自分はユニバーサルスタジオに来ていて
なにかの映画で使われたセットの一部を見ているんじゃないか、
そうであったらどれだけ良いか、そんなことを考えていました。
↑
上の写真の一部でも写っているパネルです。言葉の意味はおそらく
「どんなに時が過ぎても、あなた達がいた日々を忘れることはない」
と訳せばいいのではないかなと。背景の青は当日の空の色を表して
いると書かれていました。当日は、快晴でした。
写真撮影禁止のエリアには当時のビデオ映像(さすがに飛行機が衝
突する場面などはカットされていました)や犠牲者の写真、当日の
消防士が身につけていたものなども展示されていました。
事件があったのは18年前でこの記念館ができたのは8年前、にも
関わらず入場するのには何時間も並んでチケットを購入する必要が
あって、とても多くの人が訪れている。訪問者の中にはもちろん自
分のような外国人もいるのですが、いかにこの事件がアメリカ人の
心に深く刻みつけられているのかが分かりましたし、同時に21世紀
に起きた、映像も遺留品も膨大なこの事件はこうして永遠に人々の
心に残り続けるのだろうなとも。展示方法、遺物や映像の見せ方は
こう言ってしまうと語弊があるのかもしれませんが、いかに人の心に
響かせられるのか、とても丹念に考えられている印象は受けました。
そして青いパネルに書かれていた言葉に対して、空虚な理想論かも
しれないけれど、悲しみを残すことはあっても憎しみを残すような
ことにならないでほしい、そう思わずにはいられませんでした。
・・・次回はいつものノリに戻ります
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