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2017年2月

2017年2月19日 (日)

ついに…ついに…

ついに手に入れましたぁ!(挨拶)

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NES CLASSIC EDITION、アメリカ版ミニファミコンです。こっちももう絶望的に品薄で、通販とかの値段も最近ようやく200ドルは切ったものの150ドル以上して(※定価60ドルです)、いつになったら手に入るのやらという状況だったのですが、たまたま家の近所のトイザらスに寄ったら「明日入荷するよ」と言われ、行ってみたら狙っている人は数人いたけれど去年みたいなキャンプ張ってるような人はいなくて、という感じで。わりとすんなりと入手することができました。

「一台目?」と女性の店員さんに聞かれて、そうだよと答えたら「おめでとう」と言われて、そういうさりげない一言はアメリカのいい所だなと思いつつとかそんな感じでした。

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まずは我が家の先住民と記念撮影。左は買い損ねたときに代わりに(?)売っていたから買ってきたトランスフォーマー、バンブルビー。初代アニメが一番好きな世代としては、やっぱりビーはシボレーカマロじゃなくてフォルクスワーゲンビートルのイメージが強いです。
そして右のはカンクンのホテルで買ったジャガー。職人さんが手加工で木彫りをして、それに一粒一粒ビーズを糊付けして作った、目があった瞬間から強烈な引力と眼力を放っていた逸品です(2万円以上したので迷いましたが抗えませんでした…)

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そして開梱。日本のと違ってコントローラは当時のものと同じサイズだそうです。接続もWii規格でWiiのクラシックコントローラと相互互換だったり、非正規品ながらワイヤレス版も売っていたりというところは日本のよりもいいのかなと思いますが、コントローラ自体は1つしか付属していないので2人同時プレイとかするには別途もう1個買う必要があります。ちなみに正規コントローラも本体同様ものすごく品薄で、自分が本体買ったときにも入荷されていませんでした。

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そして大きさ比較。本体の表面積、ポケットサイズのプロ野球選手名鑑より小さいです。重さもやたら軽いし、ホントに中身入ってるのかと電源入れるまで半信半疑。
右でファミコン&バンブルの後ろにいるのはリマで買ったアルパカと、ニューオリンズで買った街の風景を描いた置物。いや、良い街でしたよニューオリンズ。一歩間違えたら銃弾喰らっていましたが。

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中にはこんなレトロ感あふれるポスターが入ってました(日本のも入っているのかな?)。アメリカのNESは光線銃、ファミコンロボ、ダックハントとロボット用のジャイロというソフトが同梱で発売されてました。

ちなみに電源入れると言語選択画面が出てきましたが残念ながら(当然ながら?)日本語はありませんでした…英語とヨーロッパの言語ばっかりで。

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当然画面もアメリカ仕様…なのですが、なんて言うんでしょう。ロックマン2のパッケージ画面が日本人の感覚で言うとすごく微妙です
また収録ソフトも30本中8本が日本と違います。つっぱり大相撲やダウンタウン大運動会が無くてテクモボウルやパンチアウトがあるあたりはいかにもお国柄。でもパルテナの鏡が日本に入っていなかったのはちょっと意外でした。

まだ元々持っていたソフトを中心にやっている感じですが、少しずつ持っていなかったソフトのゲームもやってみようかなと思っています。

2017年2月18日 (土)

正直両極端すぎる気が

ただ今金曜午後十時、本日ロサンゼルスは雨が降っています。朝からほとんど丸一日、降り続いています。夕方六時前くらいは、かなり本降りでした(そして道路の水はけが悪いので、そういうときにクルマを走らせると水しぶきが凄まじいことになります。座ってる自分の顔の高さくらいまで跳ね上がります)

11月末くらいからロサンゼルスはずっとこんな天気、毎週2日くらい雨という日々が続いています。これは自分がこっちに来てから初めてで、たぶんそれまでの二年半で降った雨の量より、この三ヶ月で降った量の方が数倍上回っています。と言っても最近の雨量が多いと言うより、それまでが少なすぎたんですが。

こちらのリンク先を見てください 2011年の年末から始まってこの五年間、どんだけ酷い干魃状態だったかが分かると思います。無論、天気は毎日晴れ。いつの間にやらカバンの中の折り畳み傘は邪魔物となって部屋の隅に置かれ、そのまま出張して出先で雨が降っていて慌てるなんてことも1度や2度じゃありません(単に自分が抜けてるだけとも言います

そんなロサンゼルス、公園にこんな表示が立つようになりました

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GOLD IS THE NEW GREEN

最初は何を言いたいのかさっぱり分かりませんでしたが、こういう話です。

以前(自分が最初にアメリカに来ていた80年代とか)は芝生が緑にしておかないといけないものでした。たとえ個人の家の前庭だろうと、きちんとスプリンクラーで水をやって、芝刈り機で切り揃えていないと自治体から叱られる(下手すりゃ罰金?)というルールになっていました。
しかし大渇水のためとても芝生に水をやる余裕なんてありません。これまでとは逆に、むしろ盛大に水まきをしていたら叱られる状況、そこで出てきたのがこの標語でした。

枯れた芝生は茶色じゃないんだ!あれは黄金色なんだ!!あの黄金色こそが、我々の新しい緑なんだ!!

…とりあえず意味が分かったとき、「負け惜しみ」とか「酸っぱい葡萄」という言葉が頭をよぎりました。ひとまず数回ツッコませろと。

でも、最近の長雨のせいでそんな芝生もすっかり緑に戻りました。

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まあ、それはそれで

会社の近所にある洗車屋さんが心配ですが

雨の日は当然のように休業してるし、そうじゃなくてもこの天気だと洗車なんてする気にまずならないしで(ちなみに自分は渇水状態のときでも、洗車すると三割くらいの確率で数日のうちに雨に降られてました。マーフィーの法則とでも言うんでしょうか

しかしまあ、そんなことを言っていたら今度は数日前、北カリフォルニアにあるオロビルダムの放水路が決壊に危機だとか、そこが壊れていることはずっと前から分かっていたけどカラッカラだしお金も無いしで放置していたとか、そんなニュースが…(日本でも報道されてたみたいですね)。とりあえず一言いわせてもらえるのなら

加減ってものを考えよう

空模様までアメリカンと言ったら偏見ですかね?

2017年2月14日 (火)

久々来ましたお導き

週末の日曜日、たまにはいつもと違う駅で電車を降り、オールドタウンパサデナという小洒落たレストランあり、ショッピングセンターありな街を散歩していたら思わぬものにバッタリと出くわしました。

ゲームセンターです

なんて言うか、家のそこそこ近所できっちりしたゲーセン見たの、初めです。しかもそこは普通のゲームセンターではありません。

レトロゲー専用ゲームセンターです

お店の名前はネオンレトロアーケード。お店のホームページはこちらをクリックしてください
1時間10ドル、1日25ドル払うと店内のゲームが遊び放題なフリープレイスタイル。この値段を高いと思うか安いと思うかはあなた次第。日本の1回100円感覚で言えば安いし、アメリカの25セントや50セントの感覚で言うとちょっと高いし、といったところでしょうか。
それにしてもゲームのこととか本当に何も考えていなくて、ただ何となく散歩していたらバッタリとこういうお店にブチ当たる。かつては当たり前のようだったこの、妙な引力に引っ張られる感覚を感じたのは久々です。日本を含めて、ゲームセンターの絶対数が減りまくりというのもあるんでしょうけど。

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店内の様子です。日曜の午後三時くらいということもあってけっこう盛況。筐体のメンテは良好、小さなお子さん連れの親とか十代っぽい子とか、自分よりも明らかに年上の人とか、みんながゲームを楽しんでました。自分もやれドンキーコングだディグダグだ、フロッガーだ日本と違う、茄子を逆さにしたようなコントローラのせいで技が全然出せないスト2だのサムスピだのと色々やってみたのですが、個人的に1番のヒットだったのはアタリのテンペストという1981年のゲームでした。

参考動画はこちらから

ワイヤーフレームとループレバーを使ったシューティングゲーム。操作感と言い効果音と言い、その両者が生み出す爽快感と言い本当に素晴らしい逸品でした。数面でやられましたが、何も考えずにショットボタンを連打しながら、ひたすらにループレバーを回しているだけで十分楽しい、そんなゲームです。

アタリショックと言われるクソゲー乱発による家庭用ゲーム業界崩壊の大惨事が起きるよりも前、自分がまだ幼稚園児だったときにこんなレベルのゲームを作っていた、負の歴史も作っちゃった会社だけど、やっぱり名作も作っていたんだなと実感。

オールドタウンは美味しいと評判のレストランも色々あるようだし、今回の一件で電車の駅から近い(=飲んで帰れる)というのも分かったし、次の週末にでもまた行ってみたいなと考えてます。ホント、良い発見をしました。

2017年2月13日 (月)

ペルーに行ってきました(ラスト)

ペルー旅行記、最終回はリマの旧市街から話したいと思います。

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旧市街は初日の宿泊先があった、いわゆる新市街からバスで40分ほどの距離でした。新興の高級住宅地なりビジネス街なりの新市街に対し、旧市街はもっと下町的な扱いらしいです。
上の写真はアルマスと呼ばれる広場。街並は南米と言うよりヨーロッパのような趣を残しています。
ここでは街歩きもそこそこに、最初に向かったのは大聖堂、カテドラル。ここに首都を遷すと決めた、スペインからやってきた虐殺魔レコンキスタドール、フランシスコ・ピサロの墓がある場所でもあります

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カテドラルの外観、そして中央にある祭壇です。年式とかそれにまつわる特徴とかは不勉強なので分かりませんが、それでも圧倒されるだけのスケールはありました。
…ぶっちゃけ祭壇の第一印象は餓狼伝説スペシャルのクラウザーステージでしたが(高校時代かなりハマりました。ちなみに持ちキャラはジョー東)

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内部には10個以上のモニュメントが飾られていました。大きさは人の背丈よりは確実にある大型サイズ。すみません、コメントできる知識がありません

もちろん前述のピサロの墓標もありましたが、そっちは写真未撮影です。どうもお墓というのは写真を撮る気になれなくて…(あくまで個人の考えなんですが)。
それにしても正直、彼が遺体をスペインに戻さず、ペルーに眠ることを選んだというのはかなり意外でした。自分が築き上げたものに対して、愛着はあったということなのでしょうか…ここだけは、ちょっと考えさせられるものがありました。

このあと、旧市街では2つほど教会やら礼拝堂やらを見ました。けれどまあ、正直最初のカテドラルだけで良かったかなというのはあります。それよりも歴史のある街並を歩いたり、お土産物屋じゃない、現地の人が普通に買い物に使うスーパーを見たりしてみたかったなと。結局ゲーム屋1つも見られなかったし。バスの車窓からポケモンだのPS3だのと書かれたポスターがある店を見つけたときには、ちょっと覗かせてくれと心の底から。
そしてそんな、微妙に消化不良感を残しながらの旧市街観光を終えると、バスはこの旅最後の目的地、ペルーの織物の歴史について展示をする「天野織物博物館」へと向かいます。

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古代インカは冶金や建築の他に織物に関しても非常に高い技術を持っていたと言われています。上の写真は漁業に使われたと思しき網、服、そして刺繍。驚くべきことにこれらは復元品ではなく、どれも千年以上も昔に作られた現物です。
インカには日本の正倉院みたいな設備があったワケではありませんでした。それでもここまでの保存状態であり続けたのは、ひとえに異常に湿度の低い地域で埋もれていたからにほかなりません(一応土には埋もれず、箱には入っていたそうです)。
しかしこれだけ色々と器用なものを持っていながら、文字と車輪を持たなかったというのはかなり不思議。あの組石とか、どうやって運んできたのかと。

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そんな文字を持たない古代インカの情報伝達手段がこの、キープと呼ばれる結び目でした。結ぶ数や位置でかなり細かい情報伝達(主に数字情報)ができたとか。しかしやっぱり、文字があればもっと多くのものが現代に残せていたでしょうに…勿体ない

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博物館の展示品より。なんて言うか、スーパーロボット大戦に出てくるデフォルメ状態のビックビクトリーデラックス(byビッグオー)のモデルってこれなんじゃなかろうかと(リアル頭身だと似てません)

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この博物館の全展示品の中で、たぶんいちばんインパクトがあったのはこの人形でした。何かの儀式の様子をあらわしているようにも見えるのですが…すみません、このあたりは駆け足になっています。旅の疲れ&前日の筋肉痛で、確実に集中力が落ちていましたので…

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最終日の夕食はまた日本食でした。ただし二日目の夜とは違うお店。味もこっちの方がだいぶ良かったので、帰りの飛行機に乗る前にちょっとはリラックスすることができました。
一番右はリマからメキシコシティまでの便で出た朝食(フライトは午前1時発で6時過ぎに到着)。メインは珍しくキッシュ。まあ、時間も時間ですしほとんど寝ていたのですが。

そしてメキシコシティからロサンゼルスはユナイテッド航空だったのですがこれがもう、完全に客をナメてるケチくささでした。4時間のフライトで小袋のポテチしか出ないし、目の前にあるディスプレイはフライトマップを含めて全部有料だし、しかも延々ディレクTVの広告が出っぱなしで消せないしで(安全のしおりで遮蔽しました)。

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ちなみにアエロメキシコでメキシコシティ~ロサンゼルスで出る一般的な朝食。薄いハムとチーズ入りのデニッシュとチョコレートプリン。味はそこそこ。


…とまあ、最後はちょっと愚痴っぽくなっちゃいましたがお昼頃にロサンゼルス空港に到着したことで、今回の旅は終わりました。16年の年末は日本に帰ろうかとか色々迷ったりもしましたけれど、やっぱり行って良かったなと。ナスカのハチドリとかマチュピチュの天空都市とか、日本からだと30時間くらいかかっちゃいますし。たぶん南米に観光旅行で行くことなんて、後にも先にもこれくらになるんだろうしと。次回からこのブログも、通常運転に戻ります。

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オマケ:戻ってきたのが大晦日だったので帰り道、トーランスに寄って年越し蕎麦食べて、翌日用に1人前のおせちセットを買って帰りました。夜は紅白の再放送を見ながらまったりと。このへんは、とっても日本チックに過ごさせていただきました。

2017年2月12日 (日)

ペルーに行ってきました⑫

クスコで迎えた最終日の朝、すでに高山病は完全に克服していた自分ですが、目が覚めたときには別の困難に襲われていました。それは何かと言いますと

筋肉痛です

まあ、そりゃそうですよね。前日マチュピチュ山登りで、普段使っていない筋肉を使いまくっていたんですから。特に帰り道、段差の激しい階段を駆け足で下り降りた衝撃を全て受け止め続けたふくらはぎの痛みがヤバいです。歩きがほぼすり足、ラジコンロボットの擬似二足歩行みたいになっています。でもとりあえず翌日に出たということはまだまだ若いということなのでしょう。そんな風に無意味にポジティブに考えつつ、まずはバスに乗って空港に移動

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空港に飾られていた太陽神、インティのモニュメントです。初代デビルサマナーでは魔神のレベル41、物理耐性で破魔無効です。
世界の多くの古代宗教がそうであるように、太陽は最大の信仰対象でした(日本の天照大御神も太陽神ですよね)。なので、これまで紹介してきたインカの遺跡、とくに神殿はあえて屋根を設置していないところも多々ありました。

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帰りの飛行機は遅れることなく定時に飛び立ってくれました。写真は機内で出たおつまみ。ものすごく特徴のある黄色い液体は現地の炭酸飲料、インカコーラ。色は色ですが味はラムネにかなり近く飲みやすいです。ペルー以外じゃまず飲めないし、嫌いな味じゃないしということで滞在中は愛飲してました。

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リマに着いたらまず昼食。場所は初日に泊まったホテルのすぐ近く、ショッピングセンターの中にあるレストランで鶏肉料理。幸い、初日の夕飯をこのお店でとった人はツアー参加者にはいなかったようです。紫とうもろこしのジュースはたぶんナスカで飲んだのよりか美味しかったです。そしてオレンジ色のアイスクリームはルクマという、日本じゃ縁のない果物。ネットで調べるとやれ奇跡の果実だのスーパーフードだのという言葉が出てきていますが、味は芋とかそっち系。

ここでの観光スポットは「恋人たちの公園」と呼ばれる場所でした。恋人たちの公園、なんとも不思議なネーミングです。一体なんで、こんな名前がついたのか、そんなことを思いながら行ってみると

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ものすごく分かりやすかったです


ああ、うん、そりゃこんなモニュメントがあったらそんな名前にもなるよねと。むしろそれ以外のネーミング考えられないよねと。ちなみにこういうのを見るといかにも情熱的と言うか南米的と思われる方もいるかもしれませんが

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アメリカにも似たようなのあります

場所はロサンゼルスから南に三時間ほど行ったサンディエゴ。モチーフは海兵と看護婦。端っこに見えているのは現在は退役して博物館になっている空母ミッドウェイ。二次大戦後に就航した空母なので中も見てきました(さすがに日本とドンパチやった艦だとちょっとね…)

すみません、前回「次でラスト」と書きましたが、あと1回だけ続きます

2017年2月 6日 (月)

ペルーに行ってきました⑪

ペルーの旅行記も残すところあと2回、今回は5日目の後半です。

昼食を終えて、少しだけアグアスの土産物屋を冷やかして、行きと同じ電車に搭乗。

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お昼もまだ消化しきれていない状態で出た軽食(ベジのピザパンみたいなのと謎の黄色い物体。とりあえず食べてみましたが味は完全にミニトマトでした)を食べて、あとは1時間くらいのんびり景色でも観て過ごそうかなと思っていたのですが

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なんか来ました

解説も電車のアナウンスでしていたのですが覚えていないので省略(酷)。とにかくインカの神話に出てくる、トリックスターみたいな存在らしいです。いろいろとコミカルな踊りを披露したり、乗客と一緒に踊ったりとわりとフリーダム。今回のツアー最年少だった6歳の女の子とも踊ろうとしていましたが、拒否られてました(泣かなかっただけ偉いと思いますが。自分が6歳のとき、こんなの(失礼)に目の前に来られたら絶対ガチ泣きしてました)

そして写真は撮っていませんが、続いて電車の搭乗員の人達による、アルパカの毛糸を使ったセーターだのショールだののファッションショーが始まったりもしました。もちろんショーの後は即売会開始。しかもカートに乗っけて通り一遍というのではなくて、値段交渉も含めて買う気を見せた乗客とはかなりガチな交渉。しかし乗客全員としっかり交渉をするためだったんでしょうか。

帰りの電車、やけにゆっくりだった気がします

定刻?何それ美味しい?そんな彼らの声が聞こえてきたように思えたのは、きっと気のせいではないでしょう。

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電車を降りてバスに乗り換え、そのときのペルーの車窓から。オリャンタイタンボという遺跡。古代の砦とも旅籠とも言われている場所らしいです。相変わらず名前を覚えられる気が全くしない地名ですが、なんとも趣があったので、できればバスの車窓からだけじゃなくてきちんと降りて観光したかったなとは思います。まあ、それはそれで大変に歩かさせられそうなんですが。

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最終日の宿はクスコでした。聖なる谷じゃないのは翌日の飛行機がわりと早いから。でもさすがにこの頃になると、高山病は完全に克服しています。必死こいてマチュピチュの山頂まで山登りした甲斐があったというもの。ちなみに広場のあたりは夜になっても治安の悪さというのは感じませんでした。行く所に行けばやっぱり治安は良くない場所もあるんでしょうけれど、少なくとも街の中心部は。

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夜は三日目のお昼を食べたのと同じレストラン。今回はブッフェ。お肉はアルパカです。日本でもアメリカでもまず食べられないお肉なので、旅の記念に食べておこうかなと。
ちなみにクイ(テンジクネズミ、早い話がモルモット)の肉もあるかもしれないという事前情報があったのですが、幸か不幸かそれはありませんでした。まあ、あっても食べなかったとは思いますが…

次回はラスト、リマの市内観光です

2017年2月 2日 (木)

ペルーに行ってきました⑩

前回の続き:帰り道はある意味往路よりもタイムアタック気味に飛ばした自分。なんとか予定時間よりも早めにマチュピチュ山から駆け下りてきたそんな自分の目に一つの立て看板がとまりました。

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向こうに行くと太陽の門へと通じると書いてある立て看板、太陽の門、うん、なんかネーミングからしてそそられる物があります。しかもどう考えても昨日の観光では行っていません。すっごく行ってみたいです。
ただ、タイムリミットまではあと40分くらい。迷っているところに全く別のツアーの日本人ガイドが通りかかったので、これ幸いと話しかけてみました。

「すみません、太陽の門ってどれくらいかかりますか?」
「そうですね~、けっこう遠いから1時間くらいは」
「11時に集合なんですけど」
「あ~絶対ムリですねえ」

残念ながら諦めました。ただ、同じツアーの参加者で自分をはるかに上回るハイペースで行っていたひとは、気合でそこまで回ってきたみたいですけど。Tシャツ短パンの人と言い、やっぱり上はいくらでもいます。

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そして去り際に写したマチュピチュの写真。下山してもなお、昨日よりも分厚い霧が立ち込めています。ちなみに遺跡までの道のりも登りは登り、下りは下りと明確に区分けされていて、来た道を逆走しようとすると止められました。
余談ですが昨日、テレビでグレートサミッツという番組をやっていました。そこで出てきたマチュピチュは雲ひとつない良いお天気で、ああ天気が良ければこういう景色が見れたんだなあと(暑さで死にそうではありますが)。

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遺跡の入り口にあったスタンプです。自分は途中で買ったガイドブックに押しましたが、ツアーで来ていた韓国人数人は嬉々として自分らのパスポートにペタペタとスタンプ押していました。いいのかなあ…とりあえず日本じゃ関係のないスタンプをパスポートに押したりはしないと思うんですが。

さらに余談ですが、遺跡の入り口とアグアスカリエンテスの街を往復するバスは窓側じゃなくて通路側がオススメです。窓側に座ると、断崖絶壁プラスガードレールが曲がり角以外に全然ないのが嫌でも目について怖いので…いや、通路側に座ったからって何の問題も解決していないのはよく分かっているんですが。

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下山したらとりあえずホテルに戻って、チェックアウトはしちゃってるからロビーで一休みして、それからわりとすぐにお昼になりました。
うん、お店がキレイなのはいいけれど、ちょっとキレイすぎるよねというのはツアー参加者のわりと共通した感想。1回くらいはコッテコテの大衆食堂にも行ってみたかったという気持ちは残ります。

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そのレストランでのお昼ごはん。メインは牛肉と玉ねぎ、トマトの炒めもの、それにライスピラフとフライドポテト添え。ロモ・サルタードというペルーの大衆料理です。味付けは中国系移民の影響もあるらしく、日本人の口にも合う東洋風。ウィキペディアの日本語版にも独立した項目があります。

ただ、画像検索するともっとざっくばらんな感じの写真ばかりが出てきますが。

次回は帰りの電車とか。たぶんあと2回くらいで終わります

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