ペルーに行ってきました⑧
ペルー旅行記、前回に続いて四日目、ついにこの旅最大の目的地、マチュピチュに向かいます。
前回やれ観光地化されすぎだと書きましたが、おかげでアグアスカリエンテスの市街地から遺跡の入り口まではとっても便利。長蛇の列に数十分並べば、ピストン輸送を行っている観光バスに乗って一気に入り口まで連れて行ってくれます。しかも十数台はありそうなバスは全部メルセデス・ベンツ社製で統一。イスが破れてワタが出ているようなオンボロバスなんざ1台たりともございません。
そして入り口から15分くらい石段のような道を歩き続けると、そこにはテレビや写真でしか観たことのない世界がありました。
ああ、マチュピチュだ…マチュピチュだよ…
月並みな表現ですけれど、やっぱり感動しました。そして同時に思いました。よくぞ残っていてくれたと。
インカの遺跡はスペイン人の侵略によって徹底的に破壊されました。黄金細工は溶かされ金の延べ棒にされ、遺跡は壊されカトリックの寺院に。そして言語はスペイン語に。そんな歴史を背負ながら、なんのかんので明るく生きてる中南米の人達はスゲエと思いますが。
マチュピチュはインカの遺跡ですが、都ではありません。数百人が住む、いわば避暑地のような性格だったらしいです。そしてそれが破壊を免れたのは、単に存在を気付かれなかったから。
山の奥深くにあったがゆえに破壊を免れた遺跡、その話を聞いたときに思い出したのが
備中松山城でした
いや、ここも山の上の僻地(失礼)な場所にあったがゆえに明治政府が廃城令を出したときも全く気付かれず、結果とっても貴重な現存天守として残ったので。
ちなみに現存天守に全部行く、というのは人生の目標の1つです。コンプリートまであつ2つ(松江&宇和島。松江は入り口までは行きましたけど)
↑
遺跡ではところどころでアルパカが放し飼いになっていました。しかし自分たちが絶対的な安全圏にいるということが分かっているのでしょう。右の写真の黒アルパカなんて、ものすごく人間様をバカにしてます(他のツアーの人が撫でようと手を差し出したらブルルルルと唇鳴らして威嚇してきました。昨日の晩御飯のくせに。
↑
遺跡の内部、王の部屋の脇にある水洗トイレ(隅っこの小さな穴の部分です)
こんなのがあるからベンキマンが古代インカ代表の超人設定に…
ちなみに当日の天気はたまに雨が降る曇り空。おかげで写真の写りとか微妙に暗いです。
もっとも、快晴だったらそれはそれで暑さで死にそうだったんですが。ほぼ三時間、起伏の在る中を歩きっぱなしな遺跡めぐりなのでそれはキツイです。アメリカや中国の観光地もけっこう歩かせますが、ここはそれ以上に歩かせてくれますので。
遺跡を見終えて、ブッフェのレストランでお昼をとって、また1時間以上列に並んでバスに乗って、街に降りたら夕食までは自由時間。荷物を部屋に置くや疲れているヒマなんて無いのですぐに飛び出しました。ゲーム屋さんを探しに。もっとも、自慢の(?)機動力を活かして1時間以上町のあちこちを歩きまわったのですが、収穫ゼロでしたが…ガイドさんに聞いても「ない」の一言だし(そもそも知らないとは思うけど)。
「友達から調査を頼まれたんですよ~」
「日本やアメリカと同じようなものが売っているのか、それとも未だファミコンが現役なのか」
と同じツアーの参加者に言ったら、それ確かに興味あるよねという反応でしたが。
↑
せっかくなので、町を散策中に撮った写真を数枚。うん、見上げる山の頂に神々しさを感じる面はたしかにあるんですが、やっぱり地名ゆえに感じた「熱海」というイメージは拭えません
ごめん、別にアグアスにも熱海にも罪はないのに。
そして入り口から15分くらい石段のような道を歩き続けると、そこにはテレビや写真でしか観たことのない世界がありました。




ああ、マチュピチュだ…マチュピチュだよ…
月並みな表現ですけれど、やっぱり感動しました。そして同時に思いました。よくぞ残っていてくれたと。
インカの遺跡はスペイン人の侵略によって徹底的に破壊されました。黄金細工は溶かされ金の延べ棒にされ、遺跡は壊されカトリックの寺院に。そして言語はスペイン語に。そんな歴史を背負ながら、なんのかんので明るく生きてる中南米の人達はスゲエと思いますが。
マチュピチュはインカの遺跡ですが、都ではありません。数百人が住む、いわば避暑地のような性格だったらしいです。そしてそれが破壊を免れたのは、単に存在を気付かれなかったから。
山の奥深くにあったがゆえに破壊を免れた遺跡、その話を聞いたときに思い出したのが


備中松山城でした
いや、ここも山の上の僻地(失礼)な場所にあったがゆえに明治政府が廃城令を出したときも全く気付かれず、結果とっても貴重な現存天守として残ったので。
ちなみに現存天守に全部行く、というのは人生の目標の1つです。コンプリートまであつ2つ(松江&宇和島。松江は入り口までは行きましたけど)


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遺跡ではところどころでアルパカが放し飼いになっていました。しかし自分たちが絶対的な安全圏にいるということが分かっているのでしょう。右の写真の黒アルパカなんて、ものすごく人間様をバカにしてます(他のツアーの人が撫でようと手を差し出したらブルルルルと唇鳴らして威嚇してきました。昨日の晩御飯のくせに。

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遺跡の内部、王の部屋の脇にある水洗トイレ(隅っこの小さな穴の部分です)
こんなのがあるからベンキマンが古代インカ代表の超人設定に…
ちなみに当日の天気はたまに雨が降る曇り空。おかげで写真の写りとか微妙に暗いです。
もっとも、快晴だったらそれはそれで暑さで死にそうだったんですが。ほぼ三時間、起伏の在る中を歩きっぱなしな遺跡めぐりなのでそれはキツイです。アメリカや中国の観光地もけっこう歩かせますが、ここはそれ以上に歩かせてくれますので。
遺跡を見終えて、ブッフェのレストランでお昼をとって、また1時間以上列に並んでバスに乗って、街に降りたら夕食までは自由時間。荷物を部屋に置くや疲れているヒマなんて無いのですぐに飛び出しました。ゲーム屋さんを探しに。もっとも、自慢の(?)機動力を活かして1時間以上町のあちこちを歩きまわったのですが、収穫ゼロでしたが…ガイドさんに聞いても「ない」の一言だし(そもそも知らないとは思うけど)。
「友達から調査を頼まれたんですよ~」
「日本やアメリカと同じようなものが売っているのか、それとも未だファミコンが現役なのか」
と同じツアーの参加者に言ったら、それ確かに興味あるよねという反応でしたが。




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せっかくなので、町を散策中に撮った写真を数枚。うん、見上げる山の頂に神々しさを感じる面はたしかにあるんですが、やっぱり地名ゆえに感じた「熱海」というイメージは拭えません

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