愛媛県に行ってきました⑤
愛媛県の旅レポ、最終回は二日目について書こうと思います。
前日、体調不良のため早めに寝て、九時間くらいは寝たおかげで体調はほぼ回復していました。おかげで朝湯のあとの朝食はかなり美味しくいただけました。
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朝ごはん。ご飯、味噌汁、焼き魚、お浸し、温泉卵、豆腐、おから、それに愛媛名産のじゃこ天と、緋の蕪漬という蕪の漬物。お米は晩御飯では半膳くらいしか食べられませんでしたが朝はお茶碗数杯食べました。
そして朝食が終わったら身支度を整えてチェックアウト。もしまた松山に来る機会があれば、ぜひまた来たいと思える宿でした。今度は体調万全にして夕飯食べたいし。
しかし山形の亀屋万年閣と言い、最近こういう、個人経営の小さな旅館がいいなと思うようになったのは自分がオッサンになったということなんでしょうか
まあ、美味しいものが食べたい、ゆっくり温泉に入りたい、それでいて高級旅館に泊まるような予算はないとなれば必然的に…というのもあるんでしょうが。
そしてチェックアウトしたら、とりあえず一度は行かないとということで道後のシンボル、道後温泉本館へ。
明治時代に作られた木造建築であり道後のシンボルマークともいえる銭湯(?)、外観は宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったとも言われています(見ていないので内部が似ていたのかどうかは知りませんが)
中には400円で入れる「神の湯」と1200円で入れていろいろついてくる「霊(たま)の湯」の二種類があり、とりあえず1200円払って「霊の湯」コースへ。
霊の湯コースだと浴衣が借りれ、風呂上がりには休憩所が使え、風呂上がりにお茶とお菓子がついてきます。
また1200円払って神の湯に方に行くこともできました。自分が行ったときは霊の湯は他に客がおらず貸切状態、神の湯は地元のお爺ちゃんと思しき人達を中心に十人くらいの人が入っていました。
そして風呂から出て一息ついたらかつて昭和天皇も利用されたという皇室専用浴場「又新殿(ゆうしんでん)」を見学。これも1200円コースだと追加料金なしで見れます。
写真撮影は禁止とのことだったので写真はありませんがさすがに立派な造りをしていました。昭和天皇が座られたという玉座とかもそのまま残されていましたし。
ちなみに今はここは使われていないそうです。皇室の方が道後に来られたときには「ふなや」という定宿があり、そこの内湯を使われるとか。あれだけきっちりしたものを作って7回しか使われなかったというのはちょっと勿体ない気もしたり。
その後、道後市内にある子規記念博物館を見物し郊外に出るために松山の駅へ。
そして相変わらずと言えば相変わらずですが、駅についてから“さて、次はどこに行こう”ということになりました。
当初は宇和島あたりに城でも見に行こうかと考えていました。しかしのんびりしすぎたせいで時間はすでに正午過ぎ、帰りの飛行機は八時前なので六時半くらいには松山駅に戻ってきていたい。けれど宇和島は片道約一時間半、行ってもかなり駆け足になります。
それなら宇和島よりも海も見たいし自転車乗れるらしいし片道四十分と近いしということで今治に行くことにしました。
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時間節約の意味もあってお昼は駅弁松山鮨。箱の写真と中身にギャップはご愛敬?
そんなわけで行ってみた今治でしたが、これは正直、かなりのアタリでした。
まずタクシーで来島(くるしま)海峡大橋に行ってもらいましたが、ここからの景色はかなりの絶景でした。天気も良好、潮風も心地よかったです(前日の反省からマフラーはしっかり首に巻いてました)
そして橋のそばにあるレンタサイクルで自転車を借りて橋の上を走り、6キロほど離れた大島へ。片道40分ほどのサイクリングです。このときの眺めもなかなかでした。
そして大島にある道の駅で具だくさんの鯛のあら汁を飲んでちょっと休憩
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あら汁。これで100円は安い!
七輪貸して魚介バーベキューとかもできるようでしたが、さすがにそれは一人じゃ無理です。
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今治は造船の町でもあるそうです。橋の上から造船所が見えたのでその写真も撮りました。何気に造船所を見るのは初めてかも。
…とまあ、景色はとてもよかったし個人的には大満足な今治市なのですが、気になったのはその過疎っぷりでした。土曜の午後なのにマジで人がいません。大島とか、たぶん人間10人見てません。自分が過去に行った土地の中では、過疎っぷりは岩手県花巻市といい勝負な気がします。
なんでも上記の大橋ができた影響でこれまで使われていたフェリーの客足がぱったり途絶え、観光客も素通りしてしまうようになったとか。
タクシーの運転手との
「東京からですか。泊まりも昨日はこちらで?」
「いえ、昨日は道後の方に」
「…そうですよね…みんな道後に行っちゃうんですよね…」
という会話が、かなり切なかったです。
そして帰りの電車まではまだほんの少し時間があったので、最後に駆け足で今治城へ
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今治城と築城した藤堂高虎の像。藤堂高虎と言ったら人生で主君を七回変えたことで有名な人です。
信長の野望では義理のステータスが主君を殺し、将軍を殺し、大仏を焼き払い、最後はボンバーマンな最期を遂げた松永久秀に次いでワースト2が指定席ですが、幕末に藤堂氏が幕府を裏切って新政府側についたとき
「さすが開祖の家風が息づいておられる」
と皮肉られたりもしましたが、築城技術が当代最高だったという評価は衆目の一致するところです。
ここも観光客は自分一人しかいませんでしたが、閉館15分前に駆け込んだのでそれは仕方のないことでしょう。しかしなんで、自分の観光って最後はいつもこう、駆け足になるんでしょう。山形でも最上義光の記念館に閉館三十分前に転がり込んでるし。
ともかくこれで、あとは松山に戻り飛行場に行き、お土産買って軽く夕食食べてで自分の愛媛旅行は終わりました。まだ見ていない場所とか、少し駆け足になってしまった場所もあるので、時間があればまた訪れてみたいと思います。
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本当に充実してますね
旅先で冒険できない私から見ればうらやましい限り
ところで、これ読んで最初に思ったこと「…私が行く時は今治に泊まろう」&「あら汁食べたい」でした。(^_-)-☆
投稿: aiki | 2011年3月 9日 (水) 08時08分
>aikiさん
これまで史跡めぐり中心で自転車乗ったりというのはしてこなかったので新鮮でした>今治
何人かで行ったのなら海鮮バーベキューなんて美味しかったのだろうなあと。
あとは車運転できれば橋を横断していろいろ見れたのでしょうが、もう8年くらいハンドル握ってないので…
投稿: 臥龍鳳雛 | 2011年3月 9日 (水) 22時14分