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2011年3月

2011年3月19日 (土)

あの震災から一週間…

東北、そして関東地方を襲ったマグニチュード9.0という未曽有の大震災、東北関東大震災から一週間が経ちました。

震災のあった日、自分はたまたま所用で休暇を取り、新宿にいました。ATMでお金をおろそうとしたら地面が揺れ始め、揺れはどんどん強くなり、「この揺れはまずい!」とすぐに思いました。
銀行の建物から外に出ると、みんなの視線が一方を向いていました。当時は何か分かりませんでしたが、都庁が左右に思い切り横揺れしていたそうです。そして携帯電話で震度を確認したところ、宮城では震度7だったということを知りました。

地下道に入ると、すべての地下鉄は止まっていました。非常ベルはけたたましく鳴り響き、余震が何度も来ます。家にメールは送りましたがメール声でも言わないと不安だったので電話をしたものの全くつながらず、公衆電話でようやく家族に無事を伝えられました。

そして地下道で少し余震がおさまるのを待って帰宅。テレビをつけたところ映っていたのは津波に呑み込まれた、車はおろか家や船までも流される様子、そして一面火の海となっている宮城県の気仙沼などでした。すぐにはそれが、現実の映像だとは思えませんでした。自分にとってはアメリカの同時多発テロ以来の、あまりにも現実離れした映像でした。

それから一週間、月曜は電車の都合で出勤できず、火曜は行ったものの帰りの電車が午前11時前には無くなるとのことだったので十時過ぎで帰社、翌日は到着した時点であと20分くらいで帰りの電車が無くなるとのことだったので、逆に開き直って定時まで働き帰りは他の人の車に乗せてもらい、木曜は午前出勤できず、金曜は会社が朝夕ともに車を出してくれたので仕事ができ…と、とにかく不安定でした。それでも仕事ができ、社員が全員無事なのは喜ぶべきことであり不平不満を言うべきことではないと思うのですが。

昨日、仕事帰りに多少は馴染みのスペイン料理屋に行きました。店が地下なので大丈夫かなと心配していたのですが、地下ゆえに横揺れなどはあまり無かったそうです。ただ、東北地方産の食材は完全に入手が途絶えてしまい、関東以西で獲れる食材に対して業者が殺到しているとのことでした。

今はただ、福島の原子力発電所が何とか落ち着いてくれること、そして一日も早く復旧してくれることを心から願っています。

※レーシングドライバー、脇坂寿一さんがSAVE JAPANという義援金サイトを立ちあげられました。自分が応援しているレーシングドライバー、小林可夢偉選手や中嶋一貴選手も協賛しています。今は全国各地から義援金の申し出が殺到して、みずほ銀行のサーバに負担を与えているそうなので、少し状況が落ち着いたら自分も何がしかの協力はしたいと思っています。

2011年3月 9日 (水)

愛媛県に行ってきました(番外編)

昨日まで(自分にしては)珍しくハイペースで書きあげた愛媛旅行記、最後の〆として、途中で掲載しそこねた写真を数枚、解説つきで紹介したいと思います。

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まずは今治駅。駅舎はけっこう新しそうです。日本一のタオル生産地ということでキヨスクでタオルも売っていましたが、妙に土産土産していて日常使えそうなのが…

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今治城天守閣からの風景。今更ながら解説しておきますと港湾都市です>今治市
またお城は鉄筋コンクリートの再建物で中の展示は甲冑や今治の歴史など、よくもわるくも標準的な内容でした。

何はともあれ、頑張ってください>今治市

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松山城へ行くロープウェーの乗り場に置いてあって28サンチ(センチのフランス語読み)榴弾砲のレプリカ。坂の上の雲でも日露戦争における旅順攻略戦のリーサルウェポンとして登場します。ドラマ(今年の年末放映分)の撮影でもこれを使ったとか。ちなみに榴弾とは内部に火薬を詰め込んだ砲弾のこと

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個人的にヒットだった萬翠荘、その階段踊り場にあったステンドグラス。ハワイに特注したもののそうですが…なぜハワイだったんでしょう?

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道後の駅前に止まっていたSL機関車風のディーゼル車両「坊っちゃん列車」。一応動くし乗れるそうですが、タイミングが合わなかったため乗れませんでした。かなり小さな列車です。
一応公式サイトもあります

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常盤荘近くの自販機で売っていた炭酸飲料「アルギニンV」
なんでこんなの紹介するかと言うと初代ファンタシースターの回復アイテム「ルオギニン」の元ネタであり、自分にとって初見だったから。

でも買ってません(汗)

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旅行の最後に食べた夕食。空港での鯛飯セット。味は…まあ、飛行場の食事なんてこんなもんだよねという感じでした。

これで愛媛の旅行記編は終了です。次はどこに行きましょうか…広島?函館?高知?それとも大分?

2011年3月 7日 (月)

愛媛県に行ってきました⑤

愛媛県の旅レポ、最終回は二日目について書こうと思います。

前日、体調不良のため早めに寝て、九時間くらいは寝たおかげで体調はほぼ回復していました。おかげで朝湯のあとの朝食はかなり美味しくいただけました。

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朝ごはん。ご飯、味噌汁、焼き魚、お浸し、温泉卵、豆腐、おから、それに愛媛名産のじゃこ天と、緋の蕪漬という蕪の漬物。お米は晩御飯では半膳くらいしか食べられませんでしたが朝はお茶碗数杯食べました。

そして朝食が終わったら身支度を整えてチェックアウト。もしまた松山に来る機会があれば、ぜひまた来たいと思える宿でした。今度は体調万全にして夕飯食べたいし。

常盤荘のホームページはこちらになります

しかし山形の亀屋万年閣と言い、最近こういう、個人経営の小さな旅館がいいなと思うようになったのは自分がオッサンになったということなんでしょうか
まあ、美味しいものが食べたい、ゆっくり温泉に入りたい、それでいて高級旅館に泊まるような予算はないとなれば必然的に…というのもあるんでしょうが。

そしてチェックアウトしたら、とりあえず一度は行かないとということで道後のシンボル、道後温泉本館へ。

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明治時代に作られた木造建築であり道後のシンボルマークともいえる銭湯(?)、外観は宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったとも言われています(見ていないので内部が似ていたのかどうかは知りませんが)

中には400円で入れる「神の湯」と1200円で入れていろいろついてくる「霊(たま)の湯」の二種類があり、とりあえず1200円払って「霊の湯」コースへ。

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霊の湯コースだと浴衣が借りれ、風呂上がりには休憩所が使え、風呂上がりにお茶とお菓子がついてきます。
また1200円払って神の湯に方に行くこともできました。自分が行ったときは霊の湯は他に客がおらず貸切状態、神の湯は地元のお爺ちゃんと思しき人達を中心に十人くらいの人が入っていました。

そして風呂から出て一息ついたらかつて昭和天皇も利用されたという皇室専用浴場「又新殿(ゆうしんでん)」を見学。これも1200円コースだと追加料金なしで見れます。
写真撮影は禁止とのことだったので写真はありませんがさすがに立派な造りをしていました。昭和天皇が座られたという玉座とかもそのまま残されていましたし。
ちなみに今はここは使われていないそうです。皇室の方が道後に来られたときには「ふなや」という定宿があり、そこの内湯を使われるとか。あれだけきっちりしたものを作って7回しか使われなかったというのはちょっと勿体ない気もしたり。

その後、道後市内にある子規記念博物館を見物し郊外に出るために松山の駅へ。

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そして相変わらずと言えば相変わらずですが、駅についてから“さて、次はどこに行こう”ということになりました。

当初は宇和島あたりに城でも見に行こうかと考えていました。しかしのんびりしすぎたせいで時間はすでに正午過ぎ、帰りの飛行機は八時前なので六時半くらいには松山駅に戻ってきていたい。けれど宇和島は片道約一時間半、行ってもかなり駆け足になります。
それなら宇和島よりも海も見たいし自転車乗れるらしいし片道四十分と近いしということで今治に行くことにしました。

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予讃線(よさんせん)の特急、高松あたりまで行ってくれます

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時間節約の意味もあってお昼は駅弁松山鮨。箱の写真と中身にギャップはご愛敬?

そんなわけで行ってみた今治でしたが、これは正直、かなりのアタリでした。
まずタクシーで来島(くるしま)海峡大橋に行ってもらいましたが、ここからの景色はかなりの絶景でした。天気も良好、潮風も心地よかったです(前日の反省からマフラーはしっかり首に巻いてました)

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そして橋のそばにあるレンタサイクルで自転車を借りて橋の上を走り、6キロほど離れた大島へ。片道40分ほどのサイクリングです。このときの眺めもなかなかでした。

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そして大島にある道の駅で具だくさんの鯛のあら汁を飲んでちょっと休憩

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あら汁。これで100円は安い!
七輪貸して魚介バーベキューとかもできるようでしたが、さすがにそれは一人じゃ無理です。

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その大島の道の駅にて一枚

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今治は造船の町でもあるそうです。橋の上から造船所が見えたのでその写真も撮りました。何気に造船所を見るのは初めてかも。

…とまあ、景色はとてもよかったし個人的には大満足な今治市なのですが、気になったのはその過疎っぷりでした。土曜の午後なのにマジで人がいません。大島とか、たぶん人間10人見てません。自分が過去に行った土地の中では、過疎っぷりは岩手県花巻市といい勝負な気がします。
なんでも上記の大橋ができた影響でこれまで使われていたフェリーの客足がぱったり途絶え、観光客も素通りしてしまうようになったとか。
タクシーの運転手との
「東京からですか。泊まりも昨日はこちらで?」
「いえ、昨日は道後の方に」
「…そうですよね…みんな道後に行っちゃうんですよね…」

という会話が、かなり切なかったです。

そして帰りの電車まではまだほんの少し時間があったので、最後に駆け足で今治城へ

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今治城と築城した藤堂高虎の像。藤堂高虎と言ったら人生で主君を七回変えたことで有名な人です。
信長の野望では義理のステータスが主君を殺し、将軍を殺し、大仏を焼き払い、最後はボンバーマンな最期を遂げた松永久秀に次いでワースト2が指定席ですが、幕末に藤堂氏が幕府を裏切って新政府側についたとき
「さすが開祖の家風が息づいておられる」
と皮肉られたりもしましたが、築城技術が当代最高だったという評価は衆目の一致するところです。

ここも観光客は自分一人しかいませんでしたが、閉館15分前に駆け込んだのでそれは仕方のないことでしょう。しかしなんで、自分の観光って最後はいつもこう、駆け足になるんでしょう。山形でも最上義光の記念館に閉館三十分前に転がり込んでるし。

ともかくこれで、あとは松山に戻り飛行場に行き、お土産買って軽く夕食食べてで自分の愛媛旅行は終わりました。まだ見ていない場所とか、少し駆け足になってしまった場所もあるので、時間があればまた訪れてみたいと思います。

2011年3月 6日 (日)

愛媛県に行ってきました④

愛媛県の一泊旅行、とりあえず初日の観光を一通り終えて宿に到着。宿泊場所の名前は常盤荘。個人経営(と思しき)、大正時代からの建物を使っている小さな旅館です。
…一応言っておきますと、若き日の手塚治虫や赤塚不二夫、藤子不二雄といった後の漫画界の大御所が集結していた豊島区にあったアパートとは一切関係ありません

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旅館外観

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部屋の様子。部屋には道後の温泉らしく夏目漱石の「坊っちゃん」が置いてありました。廊下には共有のマガジンラックがあり、そこには坂の上の雲の一巻(ぶっちゃけ一番面白い巻)やガイドブックも置いてあります。

部屋数は五部屋、民家のような佇まいで部屋の入り口はガラスの格子戸による引き戸で鍵はなし、旅館の外観も相まってまるで大正時代にタイムスリップしたかのような旅館です。ちなみに部屋にはラジオはあれどテレビはありません。ある意味地デジ対策は万全です。
お風呂は源泉掛け流しの内湯のみ。ここは中から鍵がかけられ、また一回につき1グループしか使えないようなシステムになっているため貴重品は風呂場に持って行く形になります。風呂場のすぐ向かいが事務所なので風呂場に行くと入れるかどうかを女将さんが教えてくれます。
当然(?)洗面所やトイレも共同ですが、そのへんの設備は新しそうでした。掃除は完璧に行き届いておりチリ一つない綺麗さ。このへんは非常に高ポイント。

そして一風呂浴びると部屋出しの夕食が運ばれてきました。近海物の魚介類をふんだんに使ったそのメニューはと言うと…

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近海物の刺し身にタコの酢の物

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トラハゼの唐揚げと鰆の幽庵焼き

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サザエの壺焼きにハギの汁物

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道後の地料理である煮物の芋煮とお漬物。あとは茶碗蒸しと、デザートに伊予柑が1つ出ました。

味はどれも素晴らしかったです。鰆の幽庵焼きはこれまでの人生で食べた鰆の中で間違いなくナンバーワンでしたしトラハゼの唐揚げは揚げたてにタレをかけ、それがしみこんでから食べるため冷めているのがデフォルトという変わった料理でしたが、パリパリとした食感としっかりしみこんだ魚とタレの味はビールのアテとして最強でした。
ビールのツマミとしての評価は新橋にある中華料理屋『鴻運』の茄子の塩唐揚げと互角と言えば、分かる人には分かっていただけるかと思います(すごく地域限定の例えですけど

ただ、ものすごく、ものすご~く残念だったのは、夕食時に一時的に体調がかなり悪化していたことでした
強風を心地よく感じてマフラーカバンに入れっぱなして体を冷やしたのがいけなかったのか、有休確保するために前の日もそれなりに仕事頑張って帰宅がほぼ午前様だったしで疲れがたまっていたのがいけなかったのか、とにかくなんか寒気がして体が動いてくれず…自家製で出汁をしっかり取ったというサザエの壺焼きや茶碗蒸しと、半ば無理矢理流し込む感じだったのがとことん悔やまれます(茶碗蒸しの写真が無いのも当時の余裕の無さゆえです)

それでも時間をかけて夕食をいただいて、布団を敷いてもらって一時間半ほど仮眠。その後少しは体が動くようになったので近場を三十分ほど散歩、宿に帰ってゆっくり温泉に浸かったらだいぶ体調は復活してくれました。

あとは布団に両足突っ込んでモンハン少しやり、ラジオを流しながら部屋に置いてあった坊っちゃんを半分くらい読んだり、坂の上の雲を読んだりして、その日は早く休みました。

しかし坊っちゃん、半分くらいしか読んでいないので断定的なことは言えませんがあんまり道後や松山について好意的ではないような。
温泉だけは“大したものだ”と誉めていますがラストとか主人公が“この不浄の地を後にした”とか言っちゃってますよ?

愛媛県に行ってきました③

突発シリーズの愛媛県旅行記、第三回目は松山市内で訪れた残りの観光地について、簡単に紹介したいと思います(それぞれ大文字をクリックすると公式サイトに飛びます)

1.坂の上の雲ミュージアム
読んで字の如し、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を取り扱った博物館です。
個人的に行く前はかなり楽しみにしていたのですが、実際行ってみるとまあ…取り立てて騒ぐほどのレベルじゃなかったというかこんなもんなのかなあというか(※あくまで個人的な感想です)
壁一面に貼られた新聞掲載時の小説っていうのも縮小入って文字小さいし上の方に貼られているのは全然読めないし。ちなみに小説が連載されていたのは産経新聞でした。まあ、明治時代を皆が初めて日本人というものになったという高揚感に包まれた時代、生まれたばかりの国ゆえに努力すればどんな分野でもその第一人者になれるという希望を持って人々が生きていた楽天主義(オプティミズム)の時代と書いている小説が、朝日や毎日で掲載されるわけもないんですが。

2.萬翠荘
坂の上の雲ミュージアムに隣接している建物。大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設した純フランス風の建築。
行く前は特に気にもしておらず、ミュージアムに行ったついでに行ってみた場所だったのですが、これが思いの外“当たり”でした。なんていうか、ゴージャスです。いかにもフランス風という感じがしますし。フランス、行ったことないですが

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やっぱりこういう古い建築物って大切だと思うんですよ。当時のインテリがある意味趣味全開で作り上げた建物とか特に。とかく批判にさらされる鹿鳴館とかも残しておけば良かったのにと思います。

ちなみにこの萬翠荘からさらに坂を上ったところには夏目漱石と正岡子規が50日ばかりの同居生活を送った愚陀仏庵を再現した場所もあったのですが、2010年夏の大雨による土砂崩れのせいで全壊しました(木端微塵になった庵の写真は見せてもらいました)

これらを見終えたところで松山市内から五分おきに出ている路面電車に乗り、本日の宿泊先である道後温泉へ。

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路面電車。写真のバージョンと新式っぽい車両の二種類があります。個人的には昔から、路面電車の風情というのはけっこう好き。

道後温泉に到着したのは五時少し前。駅前ではからくり時計が出迎えてくれました。

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道後のからくり時計ノーマル状態。上にいる鳥は白鷺。白鷺が傷ついた足をここの湯につけて癒していたのが道後温泉の起源だという伝説に由来しています。

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道後のからくり時計フルオープン状態
上では道後温泉の鐘を鳴らす人。真ん中正面は小説「坊っちゃん」のマドンナでその下の目立つところにいるのは主人公、同じく左右にはその登場人物で一番下の段には道後温泉の湯治客。ものすごく凝ってるのでご当地プラモご当地トランスフォーマーとかにしたらそこそこ売れるんじゃないかと思うのですが、残念ながらありませんでした。

次回は宿泊先について紹介したいと思います

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