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2011年2月27日 (日)

愛媛県に行ってきました①

もはや二月も月末になっていますが今年最初のブログ記事です。今年もまったり運営の予定ですが、よろしくお願いします。

去る2月の18日&19日、前々から行きたいと思っていた愛媛に行ってきました。メインの目的は司馬遼太郎の小説、坂の上の雲の主人公であった秋山好古、真之兄弟の生家や松山城の観光、あとは日本最古の温泉とされる道後温泉などです。移動はもちろん飛行機で羽田からは一時間半足らず。

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松山空港、わりとこじんまりした空港でした。
空港から市街地まではシャトルバスで40分程度、街中につくとやはりと言うか、坂の上の雲をアピールするのぼりとかが大量に立っていました。

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ちなみに前に行った横須賀(日本海海戦で日本の旗艦だった三笠を展示)ではこういうのぼりとかは何にもありませんでした…横須賀はもう少し頑張った方がいいんじゃないかと

ともあれ、そんな松山市で自分が最初に訪れたのは今回の旅行で一番の目的地の一つであった秋山兄弟の生家でした。

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秋山兄弟生家。多少リフォームはしていますが基本的に当時の姿をとどめているそうです。父親は下級武士だったし松山藩は徳川親藩として最後まで幕府側で戦ったため幼少時代の生活はかなり苦しかったとか。

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前庭に置かれている秋山好古の像。大の酒豪で戦闘中も飲んでいたり唇を銃弾が掠めても〝いい土産ができた″で済ましたり、フランス留学中にチフスにかかっても根性だけで治したお人。
近代日本の騎兵の生みの親とも言える人物であり日露戦争でも数十倍の兵力を持ったロシア騎兵相手に戦線を支え続けました。
豪傑や古武士のようなエピソードに事欠かない人でしたが福沢諭吉を尊敬し、陸軍大将まで昇進しながらも子を軍に入れず、退役後も顕職を求めず故郷松山に戻り、地元中学の校長をやりながらこの家で余生を過ごしたそうです。色んな意味で、尊敬してます。

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その兄好古の視線の先にある弟、真之の像。日露戦争では参謀として日本海海戦を(世界中で号外が出されるような)完全勝利に導く作戦を立てた人物です。有名な
「本日天気晴朗なれど波高し」
というのは海戦直前の電報で彼が残した言葉。
ドラマでは本木雅弘が演じ、小説でも主人公格ですが天才肌でものすごく癖のある性格だったそうなので、友人として持ちたいかと言われると微妙かもしれません(汗)ただ、兄の好古に対してだけは頭が上がらなかったそうです。
また余談ですがトルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山で遭難し、生き残った船員を日本が献身的に介護し、トルコまで送迎したとき(エルトゥールル号遭難事件)、日本から派遣した船に秋山真之も乗船していたそうです。旅先から正岡子規にも手紙を書いてました。

そしてここでの観光を終えたら次の目的地へ。次なる目的地は松山城です。

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