愛媛県に行ってきました②
同日更新ですが松山紀行の第二段、今回は松山のシンボルでもある松山城について紹介したいと思います。
秋山兄弟の生家を出た自分は松山城に通じるロープウェーに乗るため、ロープウェー街と呼ばれる街並みを歩きました。
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ロープウェー街。左右には土産物屋と飲食店が立ち並ぶ、典型的と言えば典型的な観光商店街です。ロープウェー乗り場はきちんとした建物になっており、期間限定で坂の上の雲のドラマについても特設展示コーナーが設けられていました。
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特設館で唯一撮影OKだった正岡子規の病床のセット(複製)と、病気療養時代の彼の食事について。
結核と脊椎カリエスにより病床から身動きもできなくなった子規ですが元々食道楽だったし食欲は旺盛だったためかなり色々と食べています。朝食が雑炊三杯とか昼食のおかずにカツオの刺し身とか間食が煎餅三枚に団子四本とか…薄給だった筈なんですが
ちなみに彼がこの部屋で亡くなる直前までの百二十日ほどを書き綴ったエッセイ集「病床六尺」は一読の価値アリです。書いてる内容は俳句についてや短歌について、手に入れた絵画についてのレビューや元気になったら見てみたいもの(動物園のダチョウ、サーカス、活動写真など)、それに活動写真を見に行けない自分のために知人が用意してくれた立体写真についてなど多岐にわたり、元が新聞用コラムのため非常に短く、そして読みやすい内容になっています。病床で書きあげたのが信じられないクオリティと、生きることへの明るさを持っています(最後の数日はさすがに痛切ですが…)
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お城まではロープウェーが出た直後ということだったのでリフトで行きました。乗ってる時間は五分ほど、心地よい強風を身に受けながらの気ままな空中散歩です。
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お城の入り口近くまで来たら軽い昼食。伊予柑風味の味噌が入った冷やしうどんです。香川県と隣接しているだけあってコシがあるうどんはなかなかの高レベルでした。
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松山城の築城開始者、加藤嘉明をモチーフにしたマスコットきゃら「よしあき君」。言っちゃなんですが、かなり影は薄かったです…なんのかんので、ひこにゃんのデザインは偉大だったなと
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松山城。一度焼失し、その後立てなおされたのがペリー来航後の1854年という、当時物の城としては日本で最も新しいお城です。中の雰囲気もそのせいか犬山城なんかと比べると明らかに新しい感じはしました。
また石垣は登らないようにと注意書きがありましたが、かなり急傾斜なので登る人はいないと思います(登るフリをして写真を撮っている、大学生と思しき集団はいましたが)
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城内の一角には甲冑が置かれていました。自由に装着して写真撮影もしていいそうですが…この手順、全部セルフサービスってかなりキツイと思います。
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天守閣の最上階から松山市内を一望。好天にも恵まれ、なかなかに素晴らしい見晴らしでした。やっぱり海を望むことのできる眺めというのはいいものですねと。
次回はそれ以外の松山市内について軽く触れたいと思います
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