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2010年10月10日 (日)

可夢偉!可夢偉!!可夢偉!!!

※この文章を書く時点で酒が入っています。また、かなり気持ちも昂ぶっています。

大なる能にする」
2010年、唯一のフル参戦日本人F-1ドライバー、小林可夢偉(かむい)選手の名前はそんな願いをこめてつけられたそうです。そして可夢偉選手は一歩、また一歩と着実に、その偉大なる夢への歩みを進めているように思えます。日本人初のF-1グランプリウィナー、そして日本人初の、F-1ワールドチャンピオンという夢へと…(お父さんは車の運転に興味のないお寿司屋さんだそうなので、名前をつけられた時点でその〝偉大なる夢″が何であったのかは不明ですが)

今日行われたF-1日本グランプリの決勝、小林選手は獅子奮迅と言っていい活躍を見せました。トップスピードの伸びないマシン、その欠点を理解した上で、最も速度が落ちる、しかし決してオーバーテイクポイントではないヘアピンコーナーで前をゆくライバルを次々に抜き去り、結果は7位入賞。チャンピオン争いをする別格の上位五名、そしてかつての世界チャンピオン、ミハエル・シューマッハに次ぐ堂々たる成績です。自分は地上波でレースを見ていましたが、彼の走りには涙ぐみ、そして叫ばずにはいられませんでした。一発の速さ、タイヤをいたわり走ることのできる技術、そしてここぞというときの勝負強さ、どれもがこれまでの日本人F-1ドライバーが持っていなかったものだと思います。

ただ、それでもと1990年から(興味の波はあれど)F-1を見てきたオールドファンは考えてしまうのです。

小林選手は7年前、17歳のときに欧州に渡り、以後ヨーロッパを中心にレースの経験を積んできました。それを可能にしたのは何であったのかと。

それはやはり、中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京といった先人達がいたからだと。彼らの必死の挑戦が日本という国に、そして日本人に、才能ある人間が若くして海外のレースシーンに挑む、そういった挑戦も「アリ」だと思わせたのではないかと。

そして彼らの後にも中野信治、井上隆智穂、高木虎之助、佐藤琢磨といった人達が参戦し続けていたからこそ、日本人ドライバーがF-1シーンに存在し続けることが普通のことと認められ、受け入れられ、その結果として小林可夢偉という、巨額のスポンサーマネーをチームにもたらすわけでもない、ホンダやトヨタのエンジンをタダで供給させてくれるわけでもない、ただ図抜けた才能を持つ若者を、その才能ゆえに契約してくれるチームが現れたのではないかと。

日本人初のフル参戦F-1ドライバー、中嶋悟がF-1デビューしたときは36歳でした。そして引退したときはもう40代、体力は衰え、動体視力も落ち、かつて国内で無敵を誇った力はもう残されていない、それでも日本でのF-1ブームは絶頂期、91年に鈴鹿を訪れたとき、周囲の圧倒的な期待を感じながらも、それに応える力の残っていない自分を非常に辛く感じられていたそうです。
「神様、一度でいいから俺の願いを叶えてよ」
そう思ったと雑誌のインタビューに応えていました。でも、そんな中嶋悟が後進に扉を開いたからこそ、二十代前半の小林可夢偉がF-1に来られたのだと思います。

来年も小林選手は今いるチームに残留します。資金難に苦しめられた今年よりかは巨額のスポンサーも見つけられたそうなので、さらなる活躍、そして2012年度にはフェラーリなどのトップチームにシートを得られることを、一人のファンとして夢見てやみません。

※上の文章に中嶋一貴選手や山本左近選手はあえて入れませんでした。お二人はまだ現役ですし、まだまだF-1のレースシーンで頑張ってほしいと思っていますので。特に中嶋一貴は去年、比べるべきチームメートが悪すぎただけだと思っていますし…

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