フォト
無料ブログはココログ

« 山形に行ってきました① | トップページ | 山形に行ってきました③ »

2010年8月15日 (日)

山形に行ってきました②

たぶん五回くらいかけてお届けする予定の山形訪問記。二回目となる今回は米沢の観光地を紹介したいと思います。

米沢ラーメン(ちなみに店の名前は喜久家)の昼食を終え、国道121号をひたすら歩き、途中で米沢の織物(江戸時代からの名産品)の歴史について触れた博物館に立ち寄りながら、まずはと目指したのが上杉家初代である上杉謙信、そして米沢藩九代目藩主の上杉鷹山を祀っている上杉神社でした。

Photo_2  Photo_3

左:上杉謙信像 右:上杉鷹山像

こちらの神社は当然初めての訪問でした。そして旅行者なのでそう何度も来ることはできません。それゆえお参りしたときのお願いは家内安全商売繁盛とかではなく今回の旅の無事、とりわけ二日間天気がしっかりもってくれることでした。天気予報、かなり赤信号が灯ってましたし。

そしてお参りを終えたら同じ敷地内にある稽照殿(宝物殿)にて有名な愛の前立がついた直江兼続の甲冑や上杉謙信が使用したといわれる陣衣裳、同時代の刀剣などを見物し、その足で併設されている米沢市上杉博物館へ

上杉博物館の公式ホームページはこちら(ちょっと分かりづらい構成ですが)

ここでは関ヶ原の合戦後、米沢に移らされてからの上杉氏の歴史についてを主に取り上げていました。
その中で中心的に取り上げられていたのは神社でも祀られていた上杉鷹山公。会津から石高四分の一の米沢に移るときも家臣の召し放ち(リストラ)をせず、また家臣もそんな名門上杉家に仕えることを誇りとしたため離散せず、さらに名門のプライドゆえ後継者問題のせいで三十万石の領地がさらに半減されて15万石になってからも120万石の会津時代の格式にこだわった生活を何代も続けたせいで財政難の極みにあった米沢藩を17歳の若さで引き継ぎ、その後途中の隠居を経ながらも七十余年の人生を藩政の改革に費やした人物です。

「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」

という言葉でも有名。
て言うか昔の栄華とプライドに足引っ張られて月給15万で月給120万レベルの生活続けてたら、そりゃ財政破綻して、自己破産(領地返上)寸前にもなるよねと。お前らみんな小室○哉かと

また米沢上杉氏以外にも紀元五世紀頃の女性(通称『置賜の女王』)の人骨が発掘された戸塚山古墳についての説明や、狩野永徳によって描かれ、織田信長が上杉謙信に送ったと言われる金屏風『上杉本洛中洛外図屏風』なども大々的に展示されていました。

そして内容充実の博物館を見終え、少し疲れたからと館内のソファで軽く意識を飛ばし、さあ次は上杉家の歴代藩主の墓所(廟所)へ行こうと思ったら

外がすげえ雨でした

さっきのお参りでお願いしたこと、あっさり無視されちゃいました…やっぱり元徳川のお膝元から来た人間の願いなんてお断りなんでしょうか。去年の天地人、全然見ていなかったのがいけなかったんでしょうか。まあ原因が何かは分かりませんが
…今度から武田信玄応援しようかな(ぼそ)

そして待つこと一時間以上、どうにか雨がやんだっぽいので2キロほど歩いて上杉家廟所へ。しかしそのころからまた雨が降り始め、どんどん雨脚は強くなるもののタクシーは通らずひたすら徒歩。
最後は米沢駅近くにて前田慶次郎の甲冑や烏帽子(傾奇者の彼らしく、全て馬の尻尾の毛で編まれたという代物)などが展示してある宮坂考古館に閉館十分前に転がりこみ、なんとか当初の観光目的は達成することができました(直江兼続の墓は行けなかったけど)

つくづく雨でのタイムロスが無ければ、ここまで慌ただしくならなかったのですが。

そして疲れ果てて一刻も早く荷物を下ろしたかったので、米沢駅でタクシーを拾い旅館へと向かいました

« 山形に行ってきました① | トップページ | 山形に行ってきました③ »

旅行・地域」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

こんにちは

 上杉家の経済が破綻したのは、おかしなプライドや贅沢をした為ではないですよ。そんなおかしな家ではありません。

長くなるので、出来れば以下の本を参考までにお読み下さい。
♯「直江兼続」/矢田俊文 編(高志書院ヨリ2008頃出版,税込\2600位)
老舗書店や図書館より購入出来ると思います。詳しい事情が載っています。
論文寄稿も十人程の歴史郷土家や研究者・学者や、博物館の学芸員で構成され、一時資料を引き合いに出しているのでしっかりした資料だと思います。

最後に、信玄公のファンになっても上杉家は嬉しいかもしれません。
6男の信清公は、姉の嫁ぎ先の上杉景勝を頼り、3代に渡り上杉家高家として仕え、今でもそのご子孫は米沢にお住みで仲良く暮らされています。
さらに、現在の上杉家のご当主・邦憲さんは、現在の武田家宗家ご当主と定期的に会って、仲良く交流しているそうです。

 駄文失礼しました

>上杉家元領民さん
こんにちは、コメント書き込み、ありがとうございます。

武田家と上杉家が現代でもつながりを持っていて交流されているという話は初耳でした。何百年も前に生まれた関係が今も続いているというのはロマンチックですね。

上杉家の窮乏については複合的な理由があるようですね。前藩主が金遣いが荒かったというのも一つではあるようですが…紹介いただいた本も、新宿に行くときがあれば探してみようと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 山形に行ってきました②:

« 山形に行ってきました① | トップページ | 山形に行ってきました③ »