フォト
無料ブログはココログ

« 2010年5月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年8月

2010年8月28日 (土)

山形に行ってきました⑤

ちょっと間隔が空いてしまいましたが山形旅行記の最終回です。

二日目、午前中は体力を温存しローカル線で一時間ほどかけて山寺駅へ。県内有数の観光名所にして松尾芭蕉が

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

という有名な俳句を読んだ場所です。

Photo_6

到着した時点で天気はどんよりながら一応雨は降っておらず、天気がもってくれることを祈りながらも山歩きになるから腹ごしらえは大切だよねということでまずは昼食

Photo

駅前で食べたそば定食。右上の小鉢が山形名物として有名な「いも煮」、真ん中の小鉢は「おかひじき」という山菜のおひたし。ちょっと変わった食感でした。

そして駅から数分歩き、山寺の入り口に着いたころに

とうとう雨が降り出しました

最初の電車に乗れていて、昼飯前に行けていれば雨は回避できたかもしれませんが、そんなことを愚痴ってもはじまらないのでとりあえず、折りたたみ傘を片手に頂上にある奥之院を目指し歩きます。

頂上までの道はすべて石段。その石段を一つのぼるごとに煩悩が一つ消えるということなので、階段は飛ばさないように歩きました。まあ実際はそんなことしなくても

800段も歩けば嫌でも飛ばせなくなりますが

途中から膝がかなり笑いだしていましたし(汗)
…でも煩悩の数って108つだったんじゃあ…7段歩いて1つ消えるという計算???

Photo_2

そして辿り着いた奥之院。階段上りのゴール地点ですが、あまり印象に残ってない…(失礼)

Photo_3

対面にあったお堂。こちらへ通じる道はきちんと整備されておらず、転落の危険もあるので修行者しか行けないそうです。やっぱり修行者って、スカイダイビングとかやる前みたいに“何があっても賠償請求しません”的な誓約書にサインさせられるんでしょうか…

Photo_4  Photo_5

帰り道、山寺から眼下の風景です。行きは登ることばかりに一生懸命でしたが、帰りはこうした景色を見ながらだったので帰り道の方が楽しかったです。ただ、これで天気が快晴だったらもっと素晴らしい景色が広がっていたんだろうなと思うとちょっと残念

Photo_7

帰り道、出口近くにあった松尾芭蕉像。自分は息を切らしながら登った奥之院までの石段も、きっと彼は汗一つかかずに登ったんでしょうね。江戸時代の人は今からすると異常に健脚な人が多かったですし。東海道五十三次でも日本橋から出発して40キロ以上離れた戸塚で最初の宿を取る人が多かったとか。ちなみに箱根駅伝二区間分です

そして汗と雨でずぶ濡れになりながらも山寺の見物を終え、昼を食べた喫茶店で小休止。一時間ほど待ってやってきた電車に乗り、いよいよ旅の最終目的地、山形へと向かいました。

そして山形に着いたら駆け足で一路山形城址公園へ。そして公園の中を走り抜け、閉館三十分前に滑り込んだ博物館がこちら

Photo_10

最上義光歴史館です

しかしこの人、名前よしあきなのによしみつで変換しないといけません(汗)

伊達政宗の伯父(母親の兄)である最上義光、当時の非常に有力な大名でしたが伊達や上杉といったメジャー所と戦したこと、彼の死後速攻で改易くらったこと、そのため史料が少なく敵方の伊達や上杉側から見た記録に偏っていることからゲームやドラマで基本ヒールに描かれている人なので、こうした資料館はとても貴重で新鮮です。

この資料館ではそうした従来の見方ではなく、内乱を鎮め出羽をまとめた戦術家であり山形治世の礎を築いた優れた政治家、そして子供思いの父親として義光が紹介されていました(愛娘を秀吉の要請で側室に渋々差し出したが、秀吉による養子秀次粛清の際に連座で殺されたとのこと。彼が関ヶ原で東軍についたのもこれが理由だと書かれていました)

ちなみに表紙の兜は本物です。よく見ると少し傷がありますが、これは直江兼続率いる会津軍との戦いで火縄銃の弾を頭に受けたためだとのこと。どこぞの赤い彗星じゃありませんが、ヘルメットが無ければ即死でした。
…て言うか火縄銃の弾って兜で防げたんですね。発射されてからの距離が分からないのでなんとも言えませんが。

Photo_9

山形城址公園にあった最上義光の銅像。パンフレットにもそう書いてますが、ここでの彼の異名は出羽の虎将で統一されています。間違ってもとあるゲームみたいに狐呼ばわりしたりしません。
手に持っているのは刀ではなく指示棒、上記パンフレット写真の真ん中あたりに写っているのがそれです。「とあるゲーム」でも彼の武器はこれです。

ちなみに山形城(霞城)については往時についてのきちんとした資料がないので建物の再現はできないそうです。ただ、なんとか間取りだけでも分かればそれを地面に描くことはできるので、そのための資料を探しているとのことでした。

そして帰りに楯之川という地酒を一本購入し、駅に向かうことで今回の旅は終了になりました(ちなみに天気ですが最後の最後ですごく晴れやがりました

今回はいろいろ天候に祟られた面はありましたが、今度はもっと寒い時期に一度行ってみるのもいいかなと思いました。温泉でも入って美味しい物でもまた食べに。

2010年8月19日 (木)

山形に行ってきました④

二日目は朝七時に起床しました。それから軽く朝風呂を浴びて午前八時に朝食。

Photo
朝食も、大変美味しゅうございました。特に豆腐が絶品。ちなみに左に写っている卵は温泉卵です。

食後、米沢駅に行くバスまで二時間近くあったので、少し温泉街を散歩することに。

Photo_2  Photo_3
温泉街を流れる川。これが小野川なんでしょうか?きちんと調べていないので分かりません

Photo_4
温泉街の市街地。いわゆる絵に描いたような田舎の温泉街です。ちなみに街のあちこちに温泉卵を茹でる用の石桶がありました。

Photo_6 
商店で買った卵をこういうので茹でます。ちなみに茹で料は有料(金額は聞いてないので不明)

Photo_8
米沢でも小野川でも見かけた、冷やしシャンプーののぼり。平たく言うと山形発祥の、キンキンに冷やしたシャンプーによる洗髪サービスだそうです。

ウィキペディアでも紹介記事が載っていました

また、写真は撮り忘れましたが飲泉所も何か所かありました。一日にコップ一杯、二回に分けて空腹時に飲むのが良いらしいです。
近くにコップも置いてありましたが、あまりきれいそうでなかったので手杓で…と思ったら、めっちゃ熱くて火傷しかかりました(汗)

Photo_7
そして複数の稲を使い作り上げた、花の慶次の田んぼアート。場所によっては直江兼続(リアル版)とかもあるそうです。
ただ、説明文に花の慶次を“米沢ゆかりの漫画”と書くのはどうかと思いますよ?あの漫画、慶次が米沢に行ってからの描写はほんの数文字でしたし。

小野川温泉をあとにしたのは十時十五分過ぎでした。米沢は大体見てしまいましたが、ここにはまた来たいなと。ぶっちゃけ、ご飯たべるためだけにでも

そして米沢駅に到着したものの、目的地である山形方面に行く電車は目の前で出てしまい次の電車は一時間後、昨日時間の都合で見損ねた酒蔵兼博物館に行こうかなとも思ったのですが、妙に疲れが残っていたので駅でじっとしてることにしました。

次の目的地は山寺、なかなか景観が良いところらしいです。午後は天気が荒れそうなので迷いましたが、他に手頃な所もないしと結局行くことにしました。どうにか天気がもってくれることを祈りつつ…(当日午後の降水確率:60%

2010年8月15日 (日)

山形に行ってきました③

②の記事がわりと愚痴っぽくなってしまったので、きちんとフォローはしないとということで連続掲載のパート3

午後五時過ぎ、疲れ果てていたしバスを待っていたらチェックインの時間(六時)に少し遅れそうだったのでとタクシーを拾い走ること二十分。本日の最終目的地である小野川温泉に到着しました。

小野川温泉協会のホームページ

ちなみに小野川という名前ですが、ここの温泉が小野小町由来だからだそうです。また、米沢統治時代の伊達政宗も湯治に寄ったことがあるとのこと。そして当日泊まったのは亀屋万年閣という、ちょっと年季の入った旅館でした。

亀屋万年閣ホームページ

Photo_4

泊まった旅館の部屋。一人旅で旅館に泊まったのはなにげに人生初。

この宿を選んだ理由ですが、ネット(じゃらん)でとにかく料理が高評価だったということでした。硫黄の臭い立ちこめる温泉で疲れを癒し、浴衣に着替え、部屋で待つことしばし、その高評価な料理が部屋に運ばれてきました。

Photo_6

料理の全景。個別の写真は以下のとおり

Photo_13
茄子とオクラのおひたし

Photo_7  Photo_8
イワナの塩焼きとカルパッチョ

Photo_9
鯉のあらい、魚介の乏しい米沢では昔から鯉を養殖してました

Photo_10  Photo_11
米沢に来たからには欠かせない、米沢牛のタタキとすき焼き

Photo_12
おそば。五二蕎麦と言うからには蕎麦粉とつなぎが5:2?

あとは漬物にメロン、そしてご飯(一合~一合半くらい)、最初見たときにはとても食べ切れる量じゃないと思っていたのですが、いとも簡単に食べ尽くしていました。ぶっちゃけ幸福感と同時に物足りなささえ感じるくらいで。
肉が美味い、魚も美味い、それより何より野菜が美味いです。歯応えと言い味わいといいこれまで食べたことがないくらいに。とにかく野菜の味に対する印象は強烈でした。そして山形は米どころなだけあり、もちろんお米も美味しいです。

酒飲んで、美味しい物食べて、ごろんと寝転がってうたた寝して、酔いがある程度覚めたころにまた温泉入って…そんな感じで山形の夜は更けていくのでありました

山形に行ってきました②

たぶん五回くらいかけてお届けする予定の山形訪問記。二回目となる今回は米沢の観光地を紹介したいと思います。

米沢ラーメン(ちなみに店の名前は喜久家)の昼食を終え、国道121号をひたすら歩き、途中で米沢の織物(江戸時代からの名産品)の歴史について触れた博物館に立ち寄りながら、まずはと目指したのが上杉家初代である上杉謙信、そして米沢藩九代目藩主の上杉鷹山を祀っている上杉神社でした。

Photo_2  Photo_3

左:上杉謙信像 右:上杉鷹山像

こちらの神社は当然初めての訪問でした。そして旅行者なのでそう何度も来ることはできません。それゆえお参りしたときのお願いは家内安全商売繁盛とかではなく今回の旅の無事、とりわけ二日間天気がしっかりもってくれることでした。天気予報、かなり赤信号が灯ってましたし。

そしてお参りを終えたら同じ敷地内にある稽照殿(宝物殿)にて有名な愛の前立がついた直江兼続の甲冑や上杉謙信が使用したといわれる陣衣裳、同時代の刀剣などを見物し、その足で併設されている米沢市上杉博物館へ

上杉博物館の公式ホームページはこちら(ちょっと分かりづらい構成ですが)

ここでは関ヶ原の合戦後、米沢に移らされてからの上杉氏の歴史についてを主に取り上げていました。
その中で中心的に取り上げられていたのは神社でも祀られていた上杉鷹山公。会津から石高四分の一の米沢に移るときも家臣の召し放ち(リストラ)をせず、また家臣もそんな名門上杉家に仕えることを誇りとしたため離散せず、さらに名門のプライドゆえ後継者問題のせいで三十万石の領地がさらに半減されて15万石になってからも120万石の会津時代の格式にこだわった生活を何代も続けたせいで財政難の極みにあった米沢藩を17歳の若さで引き継ぎ、その後途中の隠居を経ながらも七十余年の人生を藩政の改革に費やした人物です。

「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」

という言葉でも有名。
て言うか昔の栄華とプライドに足引っ張られて月給15万で月給120万レベルの生活続けてたら、そりゃ財政破綻して、自己破産(領地返上)寸前にもなるよねと。お前らみんな小室○哉かと

また米沢上杉氏以外にも紀元五世紀頃の女性(通称『置賜の女王』)の人骨が発掘された戸塚山古墳についての説明や、狩野永徳によって描かれ、織田信長が上杉謙信に送ったと言われる金屏風『上杉本洛中洛外図屏風』なども大々的に展示されていました。

そして内容充実の博物館を見終え、少し疲れたからと館内のソファで軽く意識を飛ばし、さあ次は上杉家の歴代藩主の墓所(廟所)へ行こうと思ったら

外がすげえ雨でした

さっきのお参りでお願いしたこと、あっさり無視されちゃいました…やっぱり元徳川のお膝元から来た人間の願いなんてお断りなんでしょうか。去年の天地人、全然見ていなかったのがいけなかったんでしょうか。まあ原因が何かは分かりませんが
…今度から武田信玄応援しようかな(ぼそ)

そして待つこと一時間以上、どうにか雨がやんだっぽいので2キロほど歩いて上杉家廟所へ。しかしそのころからまた雨が降り始め、どんどん雨脚は強くなるもののタクシーは通らずひたすら徒歩。
最後は米沢駅近くにて前田慶次郎の甲冑や烏帽子(傾奇者の彼らしく、全て馬の尻尾の毛で編まれたという代物)などが展示してある宮坂考古館に閉館十分前に転がりこみ、なんとか当初の観光目的は達成することができました(直江兼続の墓は行けなかったけど)

つくづく雨でのタイムロスが無ければ、ここまで慌ただしくならなかったのですが。

そして疲れ果てて一刻も早く荷物を下ろしたかったので、米沢駅でタクシーを拾い旅館へと向かいました

2010年8月13日 (金)

山形に行ってきました①

なんかまた、えらく更新間隔が開いてしまいましたが…

せっかくの夏休み、どこか行こうと思い、8月11日と12日、一泊二日で米沢を中心に山形へ行ってきました。

米沢と言えば関ヶ原の合戦後の上杉の所領、上杉景勝や直江兼続、前田慶次郎の甲冑なども現存している元城下町、去年は大河ドラマ『天地人』のおかげでずいぶん観光客も増えたそうです。もっともタクシーの運転手さんによると

「その賑わいも一年で元に戻った」
「そもそもその賑わいも高速千円で来た人が大半で自分達には関係なかった」
「次は前田慶次郎を主役に大河作ってくれとアピールしてるみたいだけど、まあ二十年はかかるだろうね(直江兼続もそれくらい前からアピールしてたらしい)」

とのことでしたが。

米沢は新幹線で東京から二時間ちょっと、駅に到着するとまず上杉景勝をモデルにしたマスコットキャラ「かげっちさま」が出迎えてくれました。

Photo

かげっちさま、中の人、暑い中ご苦労さまです…

Photo_2 Photo_4  

ちなみに他のマスコットキャラ。左から直江兼続がモデルの『かねたん』、兼続の正室、お船の方がモデルの『おせんちゃん』、前田慶次郎がモデルの『けーじろー』。しかし彦根城のひこにゃんがヒットして以来こういうマスコットキャラ増えましたねぇ…

Photo_7

そして駅構内に飾られていた、リアル版兼続公。生きていれば今年で御年450歳だったそうです。

Photo_5

米沢駅外観。街の雰囲気は自分が旅行してきた中では宮城の白石あたりが近いかなという感じでした。あくまでイメージで、ですが。

ともあれ米沢に到着し、最初の目的地は上杉神社、駅から2キロちょっとで道も一直線だったので歩いて行くことに。そしてその道中、ガイドブックに載っていたラーメン屋に入り米沢ラーメンというのを食べてみたのですが…ぶっちゃけかなり微妙でした

Photo_6

牛骨をベースにし、縮れ麺なのが特徴だという米沢ラーメン。…とりあえず、具をもっと充実させてください…750円で煮卵つけろとまでは言わないけど、せめてメンマと海苔くらい…

次回は米沢市内の観光名所について語りたいと思います

« 2010年5月 | トップページ | 2010年10月 »