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2009年5月

2009年5月21日 (木)

イヤすぎる日米対決

えっと、昨日の書き込みで「アメリカによる酷く誤解された日本」を紹介しましたが、同時にKさんは「日本による酷く誤解されたアメリカ」も紹介してくれました。

http://www.youtube.com/watch?v=BtywQ1xyoE0&feature=related

タイトルは「メタルウルフ・カオス」日本のフロムソフトウェアという会社のゲームです。21世紀も半ばを過ぎたとき、アメリカはクーデター軍により全土を制圧され、アメリカの象徴であった自由は滅んだ。だがそんな中でただ一つ、残された希望があった…それはアメリカ大統領!!

という出だしでパワードスーツに乗り込んだ第47代アメリカ大統領マイケル・ウィルソンが副大統領の野望の立ち向かいます。ムービー見ると分かりますが、なんか破壊衝動にかられた大統領秘書の発言とかも含めて危険すぎます。ちなみにこの大統領、アメリカ人の好事家さんにはわりと好評だったとか。
でも個人的にフィクションの世界で大統領がヒーローとして扱われるアメリカの国民性ってのは羨ましいものもあるんですけど。映画「インディペンデンス・デイ」は個人的にやりすぎだったと思いますが。
それに対して日本の総理はそういうネタにならないなと思っていたら、一年くらい前に一つ出ました。異常なまでにカッコいい小泉元首相がブッシュ・シニアやプーチンらと麻雀で渡り合う漫画が。

2009年5月20日 (水)

ゴールデンウィークの一日(後編)

そんなワケで前回の予告どおりゴールデンウィークオフの後編です。まずは江戸東京博物館から。
手塚先生展だけのチケットと常設もあわせた通し券の差額が300円くらいしか無かったのでせっかくだからと常設展も入ったところ、中で落語やっていました。途中からでしたが噺の流れはこんな感じ。

若旦那、旅に出る→旅先で死亡と近所の人誤解→奥さん、別の男と再婚→若旦那、復縁しようとするが奥さん拒絶→味方と思っていた大家さんも奥さんの肩を持つ→ならばと奉行所に訴え出たら大岡越前まで奥さん支持→その後若旦那、奉行のはからいでものすごい豪商の婿養子になってめでたしめでたし。

…救いがある噺と言うべきなのか何なのか…あとは特設展として東海道五十三次の浮世絵も展示されていました。ちなみに東海道五十三次、二十年以上前にファミコンでゲームになっています。

ゲームのタイトルは「かんしゃく玉投げカン太郎、東海道五十三次」、花火職人カン太郎が江戸を目指し、自分の開発した花火の兵器転用を狙う悪徳商人一味(忍者、ゴロつき、念仏坊主、日本刀持った虚無僧、鷹匠、ピストル持った悪徳商人)相手に弾数無限の手投げ弾を武器に立ち向かうという日本を全身全霊で誤解させてくれそうなゲームです。開発はサンソフト、他に農民二人がホーミングする投げ鎌で悪代官に立ち向かう「いっき」や、黄門様がドラキュラその他相手に世直しをする「水戸黄門2」など、日本を誤解させるのが会社の目的なんじゃないかと思えるタイトルを多々出しています。もっともこれらのゲームとしての出来は決して悪くなかったりします。水戸黄門1(こちらはきちんと国内漫遊)はファミコンではじめて合成音声を採用しているゲームですし東海道五十三次もステージとして関所や川が出てくる場所は実際にも関所や川があったりと細かいところはかなり凝っています。

そうこうして常設展を一時間半くらいで見終わり手塚治虫展へ。ここでは原画の数々や先生が生前使われていた机、サインペンで描いた自画像の入ったアパート「トキワ荘」の柱、大阪万博で展示されていた、手塚先生がデザインをしたというロボット(センスが思い切り昭和なのはご愛嬌)、幼少時代の8ミリフィルムや昆虫のデッサンなど、よくぞここまで集めてきたと言いたくなるラインアップでした。
あとは小学生時代に描いて仲間内で話題になっていたという漫画もあったのですが…これが展示され、何十万人の人が見ていると知ったら天国でどう思うんでしょう?自分なんか、大学三年くらいのときに書いた小説さえ直視する勇気がありませんが(汗)
余談ですが個人的に手塚先生の作品で一番好きなのはブラック・ジャック。マグマ大使はこの日展示会で見るまで横山先生の作品だと思っていたことをここにお詫びします

それから夕食まで少し時間があったので通り道の秋葉原へ。何十年も前の玩具などが普通に売られている「まんだらけコンプレックス」で時間を潰し、夕食の店を予約したJR四ツ谷駅へ。ここは地元なので、普段からけっこう飲み歩いてます。

当日行ったお店は『てつやき 旨酒ほたる 四ツ谷本店』
http://r.gnavi.co.jp/g330005/
紹介ページにある個室空間で9人で飲み会やりました。食べ物どれもハズレ無し、シメに麺類が欲しいと言えばメニューに無いラーメン(たぶん賄い食)を快く出してくれたり、とても感じの良いお店です。結局ここで4時間くらい過ごし、会はお開きとなりました。

最後にこの飲み会の席、基本的にゲームだの漫画だのに精通している人たちばかりなので、話の内容は非常に『濃く』なります。そんな中でも個人的に一番マニアックな知識が豊富で、しかも今も昔と変わらぬ創作活動への情熱を持ち続けているK氏が紹介してくれた、場にいた皆が話を聞いて爆笑した。ゲームの動画を紹介します。タイトルは「レッドアラート3」開発はアメリカ。

http://www.youtube.com/watch?v=SjALEbfKNIY

内容は以下の感じ

・核でアメリカに負けたソ連、過去に戻りアインシュタイン博士暗殺
・これで自国優位と思ったが自国の核技術も当然消滅(←バカ)
・そして極東の地ではエンパイア・オブ・ライジング・サンという国が興り、白人世界に対して一斉攻撃を開始する

…えっと、日本のゲームメーカーにも、アメリカのゲームメーカーにも言わせてください。

日本を何だと思っていますか?

2009年5月19日 (火)

退任ですか…

オフ会後半のことを書かないとと思っていたらこのネタが飛び込んできたので。オフ会ネタは水曜夜に更新予定です。

ベイスターズの大矢監督が休養(と言う名のクビ)後任として湘南シーレックス(二軍)監督の田代富雄氏が就任しました。

たしかに成績も去年と比べれば格段にマシですが、それでも終始最下位で二回あった脱出チャンスでも完敗、采配でも負けようと思ってやってるじゃないかと言いたくなるようなことが何度もあったので、ファンとして仕方ないのかなという気持ちはあります。二軍での田代監督はバッターの力を伸ばすことが上手だったので、今の異常に不振な打線を何とかしてくれるのではという期待もあります。今年は先発ピッチャーがきちんと試合をつくることが多いので(番長三浦だけでなくグリンやウォーランドも好投、マストニー&小林もローテの4、5番手としては十分な投球。小林はちょっと不安定ですが)打撃陣のダメさ加減がきわだちまくりですので。

しかし、それにしてもグダグダすぎる言うか監督変えるのなら去年いっぱいで変えておけよとか監督かわるとき毎回ゴタゴタが起きますよねとか(弱いときだけじゃなくて2位だった第一次大矢監督とか初年度日本一で三年連続Aクラスだった権藤さんとか)色々言いたいことはありますが、とりあえず今の自分の最大級の疑問はただ一つです。

なんで自分はこんな球団のファンなんでしょう?

…とりあえず、明日からの交流戦がどうなるかです…

2009年5月13日 (水)

ゴールデンウィークの一日(前編)

ちょっぴり今さらですがGWネタ。

GW・夏休み・年末、大体毎年この三回にはホームページを通じて知り合った友人と一緒に飲んだり遊んだりします(いわゆるオフ会)
最近は夜の飲み会だけというときもあるのですが、今回はせっかくGWであちこちイベントもやっているからと昼から遊びに行きました。

行き先は両国、目的は江戸東京博物館で開催している手塚治虫展です。
江戸東京博物館はその名の通り主に江戸時代(それ以前も多少はあります)から現代までの東京の軌跡をたどることのできる博物館。鈴木都知事(石原さんの先代、青島幸雄知事のさらに一代前の都知事)がバブル全盛期に作った、思い切りコストパフォーマンスの悪い設計をしていますが展示内容の質は良好。入り口の原寸大日本橋からはじまり各種の原寸大建造物や豊富な展示物・模型などでオフ会のほかに勤め先の子会社から来たドイツや中国の人にも好評でした。

また同日両国の商店街で「ふれあい祭り」のようなものを開催しており、両国でちゃんこ屋を開業している元大関霧島関もちゃんこの出店を出していました。

Photo
現在の霧島関。元大関だったとは思えない、普通に少し大柄くらいの体格でした。
霧島関は貴花田・若花田(当時)が前頭として将来を嘱望されていたときに大関だった方です。後に大関から陥落し、三役から陥落し、前頭でも少しの勝ち越しと大きな負け越しを繰り返しながらも必死に土俵に上がる姿はむしろ大関時代よりもファンの歓声と応援を集めていた名力士でした(同時期、小錦関も同じような境遇で互いに励ましあいながら土俵に上がっていたそうです)

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ご自身のお店のパンフレットにサインを書いて配っていたのでいただいて来ました。ちゃんこもさっぱりした味で美味しかったです。
ちなみに霧島関がいるということを教えてくれたのはオフ会参加者の一人だったのですが、自分が“霧島がいる”と聞いたときの反応とダッシュはかなり意外だったそうで…

なお江戸東京博物館のURLはこちらになります。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

今回行こうか最後まで迷ってボツになった日本科学未来館のURLもあわせてどうぞ。こちらの特別展もなかなか魅力的でした。
http://www.miraikan.jst.go.jp/

2009年5月10日 (日)

台湾出張あれこれ⑥

かなり久々の更新になってしまいましたが、台湾出張紀行の最終回、今回紹介するのはタクシーの運転手さんが故宮博物院のあと連れていってくれた場所、中華民国のために戦った人たちの魂が眠る忠烈祠です。

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左が入り口である門の上を撮った写真、真ん中が一番奥にある大殿、右が大殿の中心に掲げられていた額です。ちなみに民国57年は1968年(民国元年が1912年、今でもこの年数の数え方は普通に使っています)、蒋中正は蒋介石のことです。補足すると中華民国を建国した孫文も台湾(&中国)では孫中山という名称が一般的。

また写真は撮影していませんが大殿を取り囲むような石造りの外廊下には中華民国の戦史(清朝との戦い、日中戦争、そして共産党との戦い)について説明した地図つきの解説パネルや戦没者の胸像があり、また亡くなった方の位牌がおさめられている建物もありました。戦いについての説明文は自国兵の勇敢さを讃える論調ではあるものの、他国を貶めるような論調では無かったというのが第一印象。

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そして十一時になると衛兵の交代がありました。入り口の門から大殿まで行き、そこで業務の引継ぎ、引き継がれた衛兵さんは膝を直角に上げる行進をして門まで行きます。
近くで見るのも写真を撮影するのも問題ありませんが、当然行進の邪魔はNGです。邪魔にならない程度ならば正面に回って写真を撮ってもよさそうでしたが。

こうして衛兵の交代まで見た後タクシーは一路空港へ。

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台湾の空港、あまり大きくはないのですが設備としてはかなりいい感じでした。お土産コーナーで試食できたのもちょっぴり印象的。隣のガンダムは空港内のゲーム&玩具売り場に飾られていたのですが…SEEDのストライク?

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あと、空港内の故宮博物院ショップで小さな茶壷を買いました(高さ10cmほど)。なんとなくデザインに惹かれて購入したのですが、家族には
「相変わらずあんたの趣味は分からない」
と言われて…_| ̄|○

以上で自分の台湾出張記は終わりです。おつきあい、ありがとうございました。今度はもう少しのんびりと(できれば遊びで)行ってみたいなあと。

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